浅草哀歌

北原白秋





われは思ふ、浅草の青き夜景を、
仲見世の裏に洩るる短夜の葱のむせびを、
公園の便所の瓦斯を、はた、澄めるアルボースの香を。

あはれなる蛇小屋の畸形児を、かつは知れりや、
怪しげの二階よりさみしらに顔いだす玉乗の若き女を、
あるはまた曲馬のにはに息喘ぎ、うちならぶ馬のつかれを。

新しきペンキに沁みる薄暮くれがたの空の青さよ。
また臭き花屋敷の側に腐れつつくらみゆく溝の青さは
夜もふけて銘酒屋の硝子うち覗くかなしき男のみや知りぬらん。

われは思ふ、かかる夜景に漂浪さすらへる者のうれひを、
馬肉屋の※(「窗/心」、第3水準1-89-54)にうつる広告の幻燈を見て蓄音機きけるやからを、
かくてまた堂のうしろに病める者、尺八の追分ふし。


さは思へ、さは思へ、一時ひとときののち……

五時過ぎの夕日黄色く、溝板どぶいたに、髪床の硝子障子に、
料理屋の軒のともらぬ角燈に、露台バルコンの青くさき芥子のにほひに、
照りあかり、羽虫ぞ舞へる、
甘げなる線のねばりのうちもつれやはらかにつがへるかれら。

さは思へ、さは思へ、一時ひとときののち………
ここにかの三味線弾きの下司女げすをんな寒げに坐り、
やれむしろ籍きたる上に、
かの暗き魚燈のけぶり頬にうけて、
はらは髪賤民の児ぞ調子をかしきかつぽれを頼りなげにも踊るらむ。

さあれいま羽虫ぞ舞へる。
公園のけふのひと日を立ちつくす男の手より、
かすり絵板はひるがへり、黄なる日に暫しかがやく。


わが友よ、わがわかき羅曼底の友よ、
日は暮れて薔薇いろのかげうすき弧燈のしめり、
水のと空気とにしみじみとにほひいでたる。
そを見つつ暮れてゆくよるべなきわれのねたみよ。
君もまた思ひ知りしや、あはれのクラリオネツト、
うち囃す銀のうれひはそことなく楽しけれども、
――いかにせむ、髪の毛すぢに沁み入りて幽かにも顫ふ香料。


奥山の四時過ぎの日こそさみしけれ。
あたたかにうち黄ばむ写真屋の古きならびは、
半盲目の病児らの日向ぼこをば見るごとく、
掲げたる鈍き写真のうちにくはせ者の女役者の顔のみ白く、
びんならぶ※(「窗/心」、第3水準1-89-54)のそば、露台バルコンにダアリヤの花ただひとつ赤けれども、
なべてみな色もなし、入口の静かなる空椅子のうへに、
みよりなき黒猫ぞひとりまた背を高めたる。

見るものの凡てみな『過ぎし日』のごとくさびしく、
うとましき『忘却』の腐蝕よりのこされしものの痛さよ。
げに、白き横文字はその屋根に、いかがはしけれ、
The Art Photograph とぞ読まれぬる。





底本:「白秋全集 3」岩波書店
   1985(昭和60)年5月7日発行
底本の親本:「白秋全集 第二巻 詩集第二」アルス
   1929(昭和4)年12月10日
※本作品は底本の親本の「雪と花火」の「東京夜曲」に収められています。
入力:岡村和彦
校正:フクポー
2017年2月16日作成
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