作品名: | 日記 |
作品名読み: | にっき |
副題: | 18 一九三一年(昭和六年) |
副題読み: | 18 せんきゅうひゃくさんじゅういちねん(しょうわろくねん) |
著者名: | 宮本 百合子 |
分類: | NDC 915 |
文字遣い種別: | 新字新仮名 |
備考: | この作品には、今日からみれば、不適切と受け取られる可能性のある表現がみられます。その旨をここに記載した上で、そのままの形で作品を公開します。(青空文庫) |
分類: | 著者 |
作家名: | 宮本 百合子 |
作家名読み: | みやもと ゆりこ |
ローマ字表記: | Miyamoto, Yuriko |
生年: | 1899-02-13 |
没年: | 1951-01-21 |
人物について: | 作家。旧姓は中条、本名はユリ。東京生まれ。日本女子大学英文科中退。1916(大正5)年(17歳)坪内逍遙の紹介で中条百合子「貧しき人々の群」を「中央公論」に発表。1918年父精一郎と渡米。翌年コロンビア大学聴講生となるが、ニューヨークで古代東洋語の研究者荒木茂と知りあい結婚。12月帰国。1924年離婚。以後ロシア文学者湯浅芳子と同居生活に入る。この間「伸子」執筆に専念。1927年12月湯浅とともにソ連に外遊。滞在中に西欧旅行など経たのち1930(昭和5)年11月帰国。翌月日本プロレタリア作家同盟に加入。1932年2月宮本顕治と結婚。1933年12月日本共産党スパイ査問事件に関する容疑により顕治検挙。翌年中条から宮本へ改姓。敗戦までの厳しい期間のなか百合子も投獄・執筆禁止などをくりかえしながら作家活動に励む。1945年10月顕治釈放。夫とかわした書簡はのちに「十二年の手紙」として刊行。戦後も社会運動・執筆活動へ精力的に取り組み多くの作品を残した。「宮本百合子」 |
底本: | 宮本百合子全集 第二十四巻 |
出版社: | 新日本出版社 |
初版発行日: | 1980(昭和55)年7月20日 |
入力に使用: | 1986(昭和61)年3月20日第4刷 |
校正に使用: | 1986(昭和61)年3月20日第4刷 |
入力: | 柴田卓治 |
校正: | 青空文庫(校正支援) |
ファイル種別 | 圧縮 | ファイル名(リンク) | 文字集合/符号化方式 | サイズ | 初登録日 | 最終更新日 |
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