この無題の小説は、泉先生逝去後、机辺の
篋底に、夫人の見出されしものにして、いつ頃書かれしものか、これにて完結のものか、はたまた未完結のものか、今はあきらかにする
術なきものなり。昭和十四年七月号中央公論掲載の、「
縷紅新草」は、先生の生前発表せられし最後のものにして、その完成に
尽くされし
[#「尽くされし」はママ]努力は既に
疾を内に潜めいたる先生の肉体をいたむる事深く、その後再び机に
対われしこと無かりしという。果して
然らばこの無題の小説は「縷紅新草」以前のものと見るを至当とすべし。原稿はやや古びたる半紙に筆と墨をもって書かれたり。紙の古きは大正六年はじめて万年筆を使用されし以前に
購われしものを
偶々引出して用いられしものと覚しく、墨色は未だ新しくしてこの作の近き頃のものたる事を
証す。主人公の名の糸七は「縷紅新草」のそれとひとしく、点景に
赤蜻蛉のあらわるる事もまた相似たり。「どうもこう怠けていてはしかたが無いから、春になったら少し稼ごうと思っています。」と先生の私に語られしは昨年の暮の事なりき。恐らくこの無題の小説は今年のはじめに起稿されしものにはあらざるか。
雑誌社としては無題を迷惑がる事察するにあまりあれど、さりとて他人がみだりに命題すべき
筋合にあらざるを以て、
強てそのまま掲出すべきことを希望せり。
(水上瀧太郎附記)