私が――これは私たちがと言つた方がいいのだ。その時には私たちは三人づれでそこに出かけて行つたのだから――村はづれの
四月にはいつたばかりの或る日。林にも野にも春の力が動き出してゐるはずだのに、見渡した目には冬そのまゝの枯色がまだつづいてゐる。目立たない微かないろいろの感覚にも、肌が感じる日光空気にも、そこらぢうから逞しく湧き立つ力の動きが感じられるのに、林野の相貎は眠つたままで変らない。それが捉へ難い物足りなさもどかしさを心に起させる。――その季節の、すつかり退屈しきつた或る日の事だつた。私は朝から向ひあつて話してゐた若い友達を誘つて、今じぶん一番鋭く春が感じられるだらうと思ふ谷田の方に出かけて行つたのであつた。
丘の裾から絞れ出てゐる水の小溝があるので、その澪に添つた道には乾き勝ちの台地の上よりも、流れの湿りが早めに草の根を目覚めさせてゐると思はれたので、そこの道にうひうひしい早春の動きを見に行つたのである――午ちよつとすぎた日の光を受けてきらきら光つて流れてゐる水が、はたしてもう暖かい柔かさを見せてゐた。流れの岸や隅の処に根を張つてゐるスゲの枯れた古葉の傍からは、新しい芽の角が逞しく出てゐるしその根株にかくれたり、そこから走つて泳ぎ出したりする小さいタナゴやハヤの子がすつかり活溌になつてゐる。せりの冬をしのいで来た褐色の葉にも、鮮かに緑がさして柔かさうに見えてゐる。
一緒に歩いてゐた一人が、いつの間にかぐやぐやした田の畔を渡つて、やつの向側に行つてゐたが、ふいと大きな声でこちら側にゐる者たちを呼んだ。
「これは何でせう。」と言つてゐる。何か見馴れないものを見つけたに違ひない。
「何か見つけたのか。」こちらから声をかけると「見た事のない草ですよ。綺麗な花です。」といつてその場所を離れないで立つてゐる。私達も危く
「カタクリだ。」私は喜びの声をあげて言つた。ちやうど昨日あたりから開き始めたらしい若い花が、そこに二つ揃つて首をかしげてゐた。そのまはりには紫の斑様をもつた卵形の大きい一つ葉が十二三枚、そちらこちらに生えてる。
「なるほど、こんな処に生えてゐたのか……カタクリがここの野にはあると聞いてゐたが、なるほど……」私は独りで感じ入つてそれに見入つた。
それから花だけを摘んで、なほそちら側の小溝に添つて下つて行くと、その堤にはどこまでもつづいてカタクリの一つの葉が開いてゐるし、処どころに紫の美しい花が咲いてゐる。
その夜、私は景子に手紙を書いた。これを読んだら景子がさぞ喜ぶだらうと思ひながら、今日偶然カタクリの群落を見つけた事を知らせたのだつた。その中にカタクリの小さい百合形の紫の花を端厳微妙の美しさだと書いた。私が予期した通りの反響をもつて景子はその手紙を読んだのであつた。そのあとで訪ねて来るたびにカタクリの事を言ひ出し、一緒にそれを掘りに行かうといつて、いつも私を誘ふのであつた。
しかし、六月が半ばすぎになると、もうカタクリ掘りはむづかしくなる。なぜなら、その頃には種子の袋は熟して実が飛び出してしまひ、葉はほぼ枯れて、土の上からこの草は姿を消してゐるからである。
四月から五月にかけて、何か少し紛れてゐると、もうカタクリは土の中の球根だけになつてしまふので、景子に約束をしながらうかうかと二三年そのまゝですごしてしまつた。景子も初めの心持が薄らいで来たらしく、カタクリ掘りの話はしなくなつた。
私ははつきり覚えてゐる。十四年の
景子はぜひ行きませうと意気ごんで約束をして帰つた。それから四月にはいると忘れずにその仕度をして訪ねて来た。いかにも元気のいい身軽な身づくろひをして、その前の年だつたかに新しく買つたやゝ小型の胴乱を、ちよつと気取つた風に手にさげて訪ねて来たのだつた。
それに誘ひ出されて一緒に歩いて行く道でも、景子は声をはずませ心が勇んでゐる風であつた。歩く足どりにも若い弾力をもつてゐて、私はもうこの娘の健康はこの三四年この方の様子で確かになつたと信じたのであつた。(この日の爽かな景子を思ひ出すと、今でも私もつい不覚にも涙ぐんで来る。)
景子が新しく教はつて来た群落もやはり西向きの傾斜地になつてゐる林の中であつた。(その後、私が友達と二人で見つけた三番目の群落も西向きの傾斜地だつた。この平野にあるカタクリの群落はさういふ場所にきまつてゐるのかも知れない。)そこへはいつて見ると、いまちやうど花盛りで、あの美しい花が数へきれないほどひらひら咲いてゐた。それを見た時の景子の喜び方は!――幼い女の児がいいものを貰つた時に嬉しくつてたまらずに手をたたいて声をあげる。それとそつくりであつた。そしてこの場所は他の人には決して教へまいと繰り返して言ひ、私にも人に教へるなと頻りに念をおすのであつた。
私は笑ひながら景子に同感してゐた。私も実に嬉しかつたのだが、それは景子の喜ぶのが嬉しかつたのである。この娘がよその家の人だといふ事を忘れて、自分の娘が心を弾ませてゐるのを見てゐる気がしてしかたなかつたのである。
私たちはここで二つの胴乱一杯になるほどカタクリを掘つた。
その年の秋頃から景子にあふと、何となくその呼吸に力がないのが感じられて来た。坐つてゐるのを見ると膝がうすくなつてゐるのに気がつく。それを見て私が「景子さん、少しからだよくないやうだよ。気をおつけなさいよ。」といふと、私が覗いて見てはならないものを見たやうに、いつにもない鋭い顔をして、「何ともありません。」と強く首をふるのだつた。
「気をつけないといけない。」私はなほそれをおしつけるやうに言ふと、その瞼に薄い影を見せて、うなづく。――さういふ事が幾度かあつた。
そしてその年の冬を越した頃から、景子の訪ねて来るのが遠々しくなつた。手紙も稀になつて来た。
翌年の四月にはいつて、
「かたくりが芽を出しました。」と、右に寄せて一行だけ書いた葉書がとどいた。
私は心を驚かされた感がしてその空白の多い一枚の紙を見入つてゐた。どうとも私には判断しかねるものがその奥に有る。あの赤い瑪瑙のやうなカタクリの芽が、土を抜いて出た嬉しさで、景子が心を踴らしたのに違ひないが、恐しい力が景子を犯したのではないかとも思はれる。私は黙つてゐるより仕方がなかつた。――たしかにからだが悪いに違ひない。しかし見に行けばそれをかくさうとするだらう。私には景子の心持がよく解つてゐる。
しかしその二三日あとで、陽がだんだん暖かになつて来るのに誘はれて、今年もカタクリ掘りに来ないかと誘つてやつた。それは決して景子を試さうとしたのではなかつた。たゞまだ暖かい日の静かな散歩ぐらゐさへ景子には重荷になつてゐる、とは、少しも思つて居なかつただけであつた。
それには、四月はすぎても返事がなかつた。その間、私は時折、今日あたりは又景子が胴乱を下げて、カタクリ掘りに来たといつて、訪ねて来ないかと心待ちにしてゐた日が幾度かあつた。
景子来なばかたくり掘りにゆくべしと空しく待ちてすごせし日ありき