癩を病む青年達

北條民雄




序章


 他の慢性病もやはりさうであらうが、癩といへども、罹つたが最後全治不可能とはいへ、忽ちのうちに病み重るといふことはなく、波のやうに一進一退の長い月日を過しつつ、しかし満ちて来る潮のやうに、波の穂先は進んでは退き進んでは退きしつつやがて白い砂地を波の下にしてしまふ。さういふ風に病勢が進行を始めると患者達は「病気が騒ぎ出した」と云ひ、停止すると「落着いた」と云ふ。そして一騒ぎある毎に一段一段と病み重つて行くのである。唯一の治療法たる大楓子油の注射も効能は勿論あるとは云ひながら、しかしそれも進行の速度をゆるめるといふ程度に過ぎず、本質に於ては病気の進行は時間の進行と平行してゐるのである。ただ毀れかかつた時計のやうに、一時進行を中止してはまた急いで動き出すといふ調子である。もつともなかにはその中止すらもなくただ病み重つて行く一方の者もある。かういふのは湿性(菌陽性)には少く、乾性(菌陰性)に多い。
 成瀬信吉もここへ来た始めの頃は懸命に注射すれば治癒することもあらうと思つてゐたのではあつたが、やがてさうした考へが如何に病気に対して無知な甘い考へであつたかに気付かねばならなかつた。今になつて思ひ当るのであるが、ここへ来て間もない頃、まだ十一二歳のあどけない女の児が、年長の男に「早く良くなつて帰るんだよ」と冗談半分に云はれた時「あたいの病気は解剖室に行かなきや癒らないんだい」と答へたのを彼は聞いたのであつた。現在なほその女の児を見る度にその時のことを彼は思ひ出すが、この純真そのもののやうな少女が、自分は解剖室へ行く以外に何処へも行き場のないことを意識してゐるのかと、暗憺たる気持になるのであるが、しかしこれは真実の言葉であつた。――そして入院後八ヶ月ほど過ぎた頃、成瀬の病気も突如「騒ぎ」始めたのであつた。
 もう梅雨は終つてゐたが、毎日晴れ亙つた日とてはなく、それかと云つて降りもせず、じめじめとむし暑いかと思ふと急に袷を着たいやうな底冷がしたりしてずつと奇妙な天候が続いてゐたのである。かうした暑さ寒さの不安定は癩者の肉体を木片のやうに飜弄する。その日は成瀬自身も朝からなんとなく頭が重く、妙に体が熱つぽいやうには思つてゐたのであるが、例のやうに印刷部(患者達の手で、この病院の機関紙や文芸雑誌やその他薬袋などを印刷してゐる。成瀬は校正係を頼まれてゐた)へも仕事に行きちよつと風邪かぜでもひいたのであらうと思つてゐたのだつたが、夕方になつて全身ぞくぞくと寒気がし始め、頭まで痛み出した。仕方なく床を敷き、ズボン下を脱いだとたんに、さすがにあつと彼も叫ばねばならなかつた。彼の左足は膝小僧から下ずつとすでに麻痺してをり、大腿部も表側の方は感覚を失つてゐた。その麻痺した部分一帯に点々と熱瘤が出てゐるのであつた。熱瘤といふのは医学的には急性結節と云はれてゐるさうであるが、しかしその実体がどういふものか、どうして出来るかは明らかではないとのことである。これが出ると定つて発熱し、四十一・二度といふ高熱も決して珍らしくはない。驚いてシャツを脱いで見ると、両腕はやはり麻痺した個所個所にぽつんぽつんとその赤い斑点が盛り上つてゐるのであつた。ちやうど居合はせた同室の者にガーゼを温めて貰ひ、それで手足を覆つて更に繃帯でぐるぐる巻に罨法をほどこしたが、翌朝になつて見るとも早や顔面一ぱいにその紅斑は広がつてゐた。指で触つて見ると飴玉でも含んでゐるやうに皮膚の内部にぐりぐりと塊つたものがあつて、押すとじいんと底痛みがするのだつた。医者に診て貰ふと、大したことはない、まあ一ヶ月くらゐ入室でもしてゆつくり休みなさいと親切に云つて、笑ひながら
「熱瘤では死にませんよ。」
 と云つた。勿論冗談に云つたのであらうが、またこのやうな言葉を取り立てて云ふがほどのものもないのであるが、入院後まだ八ヶ月といふ、所謂新患者の成瀬の胸へはずんと応へ、不意に真つ黒い暗面を見せられた思ひになつた。入室と云ふのは重病室へ這入ることで、院内では療舎のことを健康舎と呼び作業に従ひ得るやうな者は健康者のうちに加へられるのである。重病室へ這入つて人々は始めて病人といふ言葉を使用する。重病室はいはばこの癩病村の病院であり、入室はつまり入院であつた。入室と聞いて成瀬は、それが始めてのことであるだけに余計強く心に響き、病み衰へて死と生の間をさまよつてゐる病人や、半ばち果てた重病者達のうようよとした病室内の光景が思ひ描かれて、はやその方へ一歩を踏み出した自分を意識しなければならなかつた。そして同時にここ半月ばかり前からの物狂ほしい日々も思ひ出され、肉体的にも社会的にも生活らしい生活の全部を奪ひ去られた挙句、更に自分の精神生活までも一歩一歩窮地に追ひ込まれ行く入院以来の日々が浮び上つて来るのであつた。
 この病院へ這入つた者は誰でも最初一週間は重病室に入れられ、そこで病歴が調べられたり、病気の程度や余病の有無に就いて調べられたりした後、始めて適当な療舎へ移り住むのである。もつとも最近になつて癩問題も喧しく叫ばれるやうになつたため病院に対する同情も社会人の間に広まつて、その故であらう今は収容病室といふ特別な病室が、ある有力な財団から寄附されて、既に完成してゐるが、成瀬が入院した時はまだ普通病室の三号がそれに当てられてゐた。全然、それまで自分以外に癩患者を見たこともなかつた成瀬にとつては三号病室に於ける一週間の生活は、思ひ出すさへにぞつとする悪夢のやうなものであつた。ひとあし、病室内に足を入れた刹那、むんと鼻を衝いて来た膿汁の臭ひは、八ヶ月を過ぎる現在まで執拗にこびりついてゐて、たとへば飯を食はうと箸を持つた時などふとその悪臭が蘇つて来ると、もうぐぐぐと嘔気が込み上げて来るのである。なんといふ奇怪な世界へ来たものであらうと、暫くは成瀬も自分の眼を信ずることが出来なかつた。これが人間の世界であらうか、それは最早人間界と云ひ切ることは困難であつた。右を見てひよいと赤鬼のやうな貌にぶつかり、ぞつとして左に眼をらすと真蒼なひよつとこにそつくりの貌がにやりと笑ひながら成瀬の方を見てゐるのだつた。右にも左にも前にも後にも、彼の眼を向けるに適した空間はないのである。それは社会の底を、人類の底を土龍のやうに生きてゐる一つの種族だつたのである。東洋人でもなければ西洋人でもなく、また南洋土人でもない、その何れの範疇にも属さぬ「癩種族」なのである。全人類から滅亡を迫られ亡ぶることによつてのみ人類に役立つナリン棒の種族なのである。
 ここへ来て五日目、成瀬は一つの事件にぶつかつた。これはほんのちよつとした事だつたが、成瀬の脅え切つた神経には異状な出来事として深く記憶に残された。彼は最初の日からずつと不眠が続いてゐたが、その夜になつて始めてうとうと浅い眠りを得たのだつた。真夜中頃だつたであらう、ふと眼を醒ますとばたばたと慌しく廊下を駈ける足音や、切迫した声などが入乱れて聞えた。どうしたのであらうと急いでベッドの上に起き上ると、彼からはずつと離れた向う端の隅のベッドへ七八人もが塊つて何か口々に騒音を立ててゐるのであつた。あわを食つたやうに附添夫が荒つぽくドアを開けて駈け出して行くと、
「早くせんと息が断れるぞ!」
 と塊の中の一人がど鳴つたりするのだつた。成瀬には何事が起つたのかさつぱり判らなかつたが、何か異常な雰囲気に打たれて急いでそこへ行つて見た。人々の背後から伸び上つて覗くと、まだ若い男であらう、長髪で枕を埋めてゐるが顔全体腐つた果物のやうになつた男が、仰向けに寝て、頸をくくられた鶏か何かのやうに、ひくひくと全身を痙攣させながら手足をばたばたさせてゐるのだつた。後になつて成瀬は知つたが、喉頭癩で咽喉のどが塞がつて了つたのである。どす黒くなつた額に血管がみみずのやうにふくれ上り、ククックククと咽喉を鳴らせては喘いでゐるのだ。眼は宙に引つつりを固く握りしめて、文字通り今にも呼吸が断れようとしてゐるのである。間もなく附添夫が、がたがたと手押車を室内へ押し込んで来ると、叩き込むやうに病人を車に載せて手術室へ駈け出して行った[#「行った」はママ]
医者せんせいは出て来たか!」
 と叫びながら三四人が追つて行つた。残つた連中は、
「可哀想に咽喉のど切るくらゐなら死ねば良かつたに。」
「咽喉切り三年か、ああああ。」
 などとめいめい勝手なことを云ひながらベッドへごそごそともぐり込むのであつた。翌日になつて成瀬は「咽喉切り三年」の意味を知つたが、この手術をした者は三年以内に死ぬといふのである。勿論例外はあり、五年十年と生き延びる者もゐるにはゐるが、大部分が手術後いくばくも過さずして命をとられるのである。
 このことがあつてから間もなく療舎生活を成瀬は始めたのであるが、夜になつて床に入る度にその手足をばたばたさせた様が眼先にちらつき、ククックククと鳴つた咽喉の音などが耳殻の底に聴え出してならなかつた。あのやうに半ばちかかつた体を、咽喉に穴を穿つてまで生き度いのであらうかと、生の欲望の強さが呪はしくもまた浅ましくも思はれるのだつた。
 それでも病気に対して悉しい知識もなかつた彼は、さうしたことが直接自分につながりをもつたことだとはどうしても思へず、兎に角一日も早く退院しなければならぬと覚悟をし、毎週三回の大楓子注射を一度もかかさず打ち続けたのである。そして注射をする度に幾分の安堵を感じ、時にこつそりと麻痺した部分へ触つて見、少しは感覚があるやうになつたのではあるまいかと眼をつぶつてまた触つて見たりしたのであつた。しかし日がたつにつれて、徐々に「考へれば考へるほど恐しい病気」の現実に屈伏して行かねばならなかつた。入院した当座の驚愕や恐怖は要するに感官的なものに過ぎなかつた。かつて見たことのないものを見た驚きであり、かつて聞いたことのない音を聞いた恐しさであつたに過ぎなかつたのである。しかしやがてはさうした知覚上の驚愕や恐怖が少しづつ内部へ内部へと浸み透つて行きでもしたかのやうに彼の苦しみは募つて行き、深まつて行つたのである。何時になつても麻痺した部分は依然として枯れたやうに無感覚で、それでも月に一度くらゐは思ひ出して注意をその部分に集中させながら試して見るが、ただ徒労を重ねるばかりであつた。その度に絶望的な焦立ちを覚えて居ても立つてもゐられない思ひになつた。
 療舎の生活は暗いとも明るいとも云へぬそれは灰白色に塗り潰された日々だつた。いきいきとした一つの希望も与へられぬ患者達は、また深い絶望もなく、ただ時どきの反射運動を続けるだけだつた。成瀬のやうに感受性が発達した青年にとつては、慣れ切るといふことは殆ど不可能にちかく、とり分け死ぬまで癒らぬと思はねばならなくなつた現在のやうな立場にあつては、苦悶は一日一日とまさつて行く一方であつたが、彼等は驚くべき速さで病院に慣れ、病気に慣れこの小さな世界に各々の生活を形造つて行くのだつた。夜が明けると彼等は鼻唄混りで作業に出かけて行き、十一時には昼食に帰つて来、一時までの二時間を縁側に寝転んでのうのうしく背中を乾して女の話を続けてまた出かけて行くと、三時半には仕事を終つて夕食を食ふ。それから十時の消燈時刻まで婦人舎へ遊びに出かけて行つて、患者監督と口醜く罵り合つて帰つて来る。どういふ訳か癩には婦人患者が少く、何処の療養所でも女は三十パーセントの割合である。従つて激しい競争が演ぜられ、若い女が一人収容されると我先にと押しかけて行き、良き第一印象を与えるべく才能のありたけを傾けるのである。そして結局三十パーセントの幸運者と四十パーセントの不幸な落伍者が出来る。それゆゑ「女が出来た」「おつかあ持つた」と云へば大した成功であり、さうして始めて院内の信用を獲得し一人前の人間であると自他共に認めるのである。何しろ女がふつていしてゐるのであれば、この院内では女は王様で男は下僕にも等しいのは当然である。彼等の日常生活を豊富にするものはすなはち彼女等であつた。眉毛はすつかり抜け落ち、ちよつと突けば膿が飛び出すかと思はれるほどどす黒く膨張した貌に安クリームを塗りつけ、鏡を覗いては禿げかかつた部分を隠すのに苦労してゐる彼等を眺めながら成瀬は、しかしかうした生活以外に彼等に何が残されてゐるであらうと思ひ、ここへ来たばかりの彼であれば浅ましいと一言で片づけることも出来たであらうが、病気の現実を知つた今の彼には、ただどん底のせつぱつまつた生活ばかりが見えて批判の無意味さを知らねばならないのであつた。浅ましいとも醜悪とも、その他なんとでも云へば云へよう、この病院の近所の百姓達は「山の豚共」といふ言葉をもつて患者達を呼ぶ習はしださうである、身を病院に置かない「壮健」共にとつてはかう嘲笑して済ましてもゐられるであらうが、成瀬はしかし自分自身その豚共の一員であることを意識しなければならないのである。なんといふ恐しい世界へ自分は来たのであらう、命の有る限りの永い年月をこの中で暮して行かねばならないのであらうか、生きる、生き抜く、これは美しいことであるかも知れぬ、貴いことであるかも知れぬ、しかしどうして貴くなければいけないのか、どうして美しくなければいけないのか、――成瀬は折に触れてふと自殺が頭をかすめるやうになつた。
 そして熱瘤の出る一ヶ月くらゐ前から、夕方になるとあてもなく雑木林の中を歩きまはる習慣がついたのである。勿論今すぐどうしようといふ気持はなかったが[#「なかったが」はママ]、ふと気付いて見ると何時のまにか死のことばかりを考へ続けてゐるのに驚くことも再三でなかつた。熱瘤を出したといふのも、かうした夜歩きが体に毒したのであらう。彼の病型は湿性であるが――さうでなければ熱瘤は出ない――この病型のみでなく、凡て夜露は悪いのである。それに時とすると小雨が降つてゐるやうな日でも、彼は十時の消燈時刻が過ぎるまで歩き続けたりしたのだつた。病気に毒だといふことは彼も知つてゐたが、しかし体を大切にして何になるか、と思へば最早彼を引止める何者もないのである。彼の死を聞けば故郷の肉身は[#「肉身は」はママ]嘆くであらう、しかし彼等にしてもその嘆きの中にかへつてほつと安堵を覚えるであらう。いや真実のことを云ふならば、或は一時も早く死んで欲しいのであるかも知れない。勿論成瀬も折々は故郷へ思ひをはせることはあつたが、死と貌つき合はせるやうになつては、社会への、いや生活へのあこがれはあつても故郷へのあこがれは消えて了つた。――その頃成瀬は夕暮近い時刻になると定つて異状な不安と絶望に陥り、一時も早く何処かへ行かねばならぬ思ひに心が焦立ち始めるのであつた。強ひて床に就いて見ることもあつたが、睡れぬばかりか狂ほしいのである。そして神経は病的に冱え返り、こつりと鼠の音が天井裏でするとはつと全身に恐怖が流れ、じつと体を竦めてゐると底知れぬ深い谷底へでも墜落して行くやうな思ひに襲はれるのである。そして結局は長い時間を林の中で過すのであつた。死ぬか生きるか、この二つに一つの疑問が、成瀬に向つて解答を迫つてゐるのだつた。
 けれど熱瘤が出るまでは、まだ一つの小さな安心があつた。他でもない、彼はまだ軽症であつたのである。手足に麻痺した部分はあつても、顔面の片側に浸潤が来てゐても、まだ軽症であつたのである。神経痛一つ彼は知らず、全身何処にも疵はなく、まだ五年や七年は、いざとなれば逃走も出来たのである。軽症、このことだけが僅かに彼を慰め、よし最後には重症たるべく運命づけられてゐるとは云へ、重病室とはまだまだ距離がある。それまでには何とか――と彼は考へてゐたのだつたが、今やその最後の安心も断ち切れて了つたのだつた。
 入室となると部屋中の者総がかりで、或者は布団をかつぎ、或者は食器を入れた笊を抱へて、病人を載せたリヤカーを囲んでぞろぞろと病室までを異様な行列を続けて行く。成瀬の這入る病室は五号だつた。五号は、幾棟も並んだ病棟の中、最も北側で、玄関をつき合せて十号と並んでゐた。十号は特種病室で狂人や白痴が這入つてゐる。診察のあつたあくる日、成瀬もまたリヤカーに載せられて五号へ牽いて行かれた。リヤカーの人となつた刹那、彼はふと手押車で手術室へ運んで行かれた喉頭癩の男を思ひ出し、その男は今はもう元気に毎日咽喉のどに取りつけた管のついた金具の掃除をしてゐるさうであるが、手足をばたばたと藻掻いた様子が成瀬の心から離れ難いのであつた。彼はリヤカーの中で跼み身をちぢめてぼうつと熱に浮かされた頭に車の響きが激しく伝はつて来るのを覚えながら、遂々自分も重病室の一員となつたかと無量の感慨が溢れた。余程の高熱が出てゐるのであらう、痛みといふものは覚えず、眼をあげると並び合つた舎と舎の間に覗かれる彼方の雑木林がぼうとかすんで、雲の中をでも行くやうに全身が浮き上つて感ぜられるのであつた。人々に助けられてベッドに横たはると、御世話様でしたと礼の言葉を出すのがやつとであつた。
「お大事に。」「成瀬さんお大事に。」と口々に枕許で云ふ人々の声を成瀬は瞑朧の中に聴いたまま、うつらうつらとした世界に全身が引き入れられて行つた。


 成瀬はふと眼を醒ました。頭は朦朧と煙つたやうに重かつたが、体温はずつと下つたらしい。心臓に掌を当てて見ると、やはりまだ鼓動は激しかつたが、もうずつと落着いた調子である。入室後四日間彼は高熱に浮かされて意識も定かではなかつたのであるが、昨夜になつて次第に体温が下り、ぐつすりと云へないまでも快い睡りを得たのであつた。全身まだ宙に浮いてゐるやうな感じが抜けなかつたが、それでも意識はもう確かである。一体幾時頃なのであらう、彼はちよつと眼を開いて見たが、足許の、カーテンの隙間から覗かれる窓の外は暗いのであらう、室内の光りが硝子に反映してゐるだけで外界のものは何も見えなかつた。時々寝苦しさうな呻き声や、つまつた鼻穴で気色の悪い音をたててゐるのや、今にも断れさうなはしない呼吸などが聞えるだけで、ひつそりとした病室らしい静けさである。まだ朝までにはかなりの時間があるらしい。彼は眼を閉ぢると、もう一睡りすればこの頭の重さもとれるであらうと思ひ、睡気の襲つて来るのを待つた。
 それから幾時間くらゐ睡つたであらうか、再び眼を醒ました時にはもう夜はすつかり明け放たれて、明るい光線が眼にしみた。しかし窓から望まれる空はどんよりと曇つて、風もないのであらう、黒い雲が一ヶ所に動かずにじつとしてゐた。
 朝らしい騒音が室内に満ちて、ばたばたとゆかをふんで歩く音や、大きなあくびや、洗面所で勢良く飛び出す水道の音などが入乱れて、忙し気な様子が聴きとれるのであつた。予想通り頭は以前より軽く、この分ならば今日は起きて見ることも出来るであらうと、成瀬は久しく味ははなかつた明るい気持をちよつと味はつた。しかし勿論頭はまだ煙の中にでもゐるやうな感じが抜けてゐなかつたばかりでなく、全身、骨を抜かれたやうに疲れ切つてゐて、起き上るのがひどく大儀に感ぜられた。じつと眼を閉ぢてゐると、彼はふとリヤカーに載せられて送られて来た時の印象が蘇つて来て、何故ともなく非常な孤独を覚え、このまま自分は死んで了ふんではあるまいかと淡い不安が心を流れるのであつた。
「飯だよう!」
 暫くたつと、大声でど鳴る附添夫の声が聞えた。やがてがちやがちやと茶椀や皿を出す音がして、
「今日のおかずあなんだい!」
 と嗄れた声で聞くのがあつた。
「今日の献立はあ――」
 附添夫であらう、ちよつと厳かな声を出してそこまで云つて切ると、
「ええと、今日の献立は、昼は漬物。夕食は馬鈴薯の煮付。」
 室内は騒然として、
「ちえつ。じやがいもばかり食はせやがらあ豚ぢやあるめいし。」
 と誰かが云ふと、
「俺のせゐじやあねえや。気に食はなきやあ止しあがれ! この座敷豚。」
 勿論別段怒つてゐる訳ではなかつたが、さながら悪口の浴せ合ひであつた。
「ああああなんちゆうこつちや。毎日毎日じやがいもばかり食はされて、これがまあ浮世かいな。」
 妙に悲観した女の声が聞えると、今度はひどく陽気さうに、
「今日もナッパ、明日もナッパ。ナッパナッパで日が暮れる。」
 と唄ふ者や、不意に義太夫の一節――あとにはそのが憂き思ひ、今頃は半七つあん、何処にどうして御座らうやら、今さらかへらぬことながら――と人の声とも思はれぬ嗄れた声が聞えたりする。不平を云ひ、不満をぶちまけながら、しかし彼等はやはり飯時の楽しさを隠し切れないのである。
 成瀬も今日はせめて粥の一ぱいでも口にしようと思つて起き上りかけたが、とたんにくらくらつと眩暈がして、布団の上に腰がくづれて了つた。僅かの日数であつたが、かなり衰弱してゐるらしいのである。彼は何か焦立たしいものを覚え、強ひて起き上つたのであつたが、はや自分の体力はこんなに失せて了つたのかと、暗いものが心を包んで来た。
 枕許にはみな一個づつ茶箪子に似た小さな戸棚が取りつけられてあつた。この戸棚が彼等の故郷へ出す手紙を記す机であり、三度三度の食卓である。また彼等の日用品、例へば石鹸、歯磨道具、手拭、その他茶瓶から食器類などもやはりソコの中にごちやごちやと入れて置かれるのである。戸棚といふより四角な箱であるが、これに向つてずらりと並んで食事をとる彼等の姿は、まことに凄じい限りであつた。成瀬のベッドは西端の南側の壁ぎはであるため、一目で室内全体の見渡しが利くのである。
 寝台は左右二列に並んでゐるが、その間の通り道に立つて附添夫五人が総がかりで給仕するのである。
「飯だ!」
「お粥だ!」
「うおつ!」
「よし来た。」
 掛声にも似た声を出しながら、附添夫達は右に駈け左に駈けて、時にぶつかり会つて危く味噌汁をこぼしさうになつたりする。飯びつや汁鍋は部屋の中央に出された、何処かの公園にでもあるやうな腰掛様の物の上に載せられてある。病人達の食事姿は地上何処にも見られまいと思はれる奇観であつた。五本の指が脱落して箸など勿論持てず、摺子木のやうになつた両手に茶椀を挟んでゐるのはまだしも、繃帯の間にフォークをさし込んで食つてゐるのや、はげかかつた絆創膏が額にぶらぶらしてゐて椀を口に持つて行く度にずぶりと汁の中につかるのや、さすがに成瀬も思はず嘔気を催すのであつた。
 入院当時の一週間の病室生活以来始めて病室でとる食事である。戸棚から茶椀など取り出す時は、今更のやうに自分のみじめな姿が思ひ描かれて、成瀬はもういつそ止して了はうかと思ふのであつた。顔も腕も繃帯に包まれてゐる上に、熱瘤には冷えるのが最も毒であるため、手袋をはめたまま箸を持たねばならないのである。無論貌を洗つてゐないばかりでなく、まだ一度も口をすすいですらゐない。逡巡してゐると、
「お粥だな?」
 彼の返事も待たず附添の一人が、かつさらふやうに茶椀と汁椀を持つて行つて了つた。
 熱でただれた口中はすっかり[#「すっかり」はママ]味覚を失つて了ひ、最初の一口を口に入れて見たが、白い泥でも食つてゐるやうに、味もそつけもないのである。彼は一口ひとくちを思ひ切つては呑み下した。かうしてやうやく一杯を食ひ終ると、ほつとした思ひになり、急に疲れも覚えて、散菜をお湯で咽喉に流し込むとまた床の中へもぐり込んだ。
 窓の外へ目を移すと、仰向けに寝てゐるため、前方の四号病室は屋根の部分だけがちよつと見えるのであるが、ちやうど、群立つて数羽の鳩が飛んで来たところだつた。空はやはり曇つてゐたが、降りさうにも思へなかつた。鳩は不器用な体付で屋根の傾斜を歩き廻つてゐたが、びつくりしたやうに一度に飛び立つて行った[#「行った」はママ]。成瀬は自由に歩き廻ることの出来ない自分を強く感じ、発病以前の若々しい気力までが失はれて行く日頃の生活が情なかつた。しかし彼はかなり落着いた気分でゐた。

 成瀬の熱瘤は思つたよりも軽く、その後ずつと良好な経過で、三十八度内外を上下する体温が一週間ばかり続いた後、ずつと七度三四分といふ程度であつた。急性結節に八度といふ体温は平熱も同然であり、四十度を超えなければ熱瘤の発熱ですといふのは恥かしいくらゐである。貌や手足に巻いた繃帯も慣れて見るとさほど苦にもならず、時々は室内をぶらぶら歩いたり、口をすすいだりも出来るやうになつた。病室生活にも徐々に慣れて、最初はどれもこれも奇怪な泥人形のやうに見えた病人達も、みなそれぞれの生活形態を有ち、それぞれの個性を有つてゐるのにも気付くやうになり、何時しか彼等のその日その日を観察する面白さも覚えるやうになつた。しかし見れば見る程、知れば知る程、益々自分が救はれ難い世界に生きてゐるのを知らねばならなかつた。病人達と一口に云つても千差万別で、一晩泣き明かす猛烈な神経痛患者もゐれば、足の骨が腐つて外面何ともないやうでありながら内部に洞穴が出来てゐるのもゐる。また結核患者もゐれば、痔疾患者も居り、その他胃病、子宮病内膜炎、珍らしくは睾丸炎までゐるのだつた。ただみな癩を病んでゐるといふ点だけが共通してゐたのである。彼等は終日食べものの話か女の話かで時を過すのであるが、しかし成瀬を興味深く思はせるのは、さうした話と同様に彼等の興味が社会事情にも向けられてゐることであつた。社会事情と云つても三面記事的な出来事よりも、国際問題がどうの岡田内閣がどうの、今度の暗殺事件がどうのと、かういふ話が一度誰かの口に上ると、何時果てるかと思はれるほど、彼等は眼の色を変へながら口角から泡を飛ばすのである。これはどうしたことであらうと成瀬は時々考へて見るのであるが、最早や完全に社会生活から切り離されて了つてゐる彼等が、どうしてかうも今の自分のせい全体と無関係なことに興味を持つのか、不思議と云へば不思議であつた。或は口にすることによつて切り離された社会とのつながりを保たうとする無意識的な欲求であらうか、それとも語り合ひ思ひ描くことによつて社会の中に自己の映像を見ようとするのであらうか、或はまたこれは日本の民族性による本能的な政治趣味であらうか――しかし確かに云へることは、無意識的に彼等が社会へのあこがれを蔵してゐるといふことと、現在の自己を忘れたい、自己を病室に置き度くないといふ欲求の表はれであるといふことである。
 病室全体が妙に滅入り込んで了ふことがあつた。それは定つてかうした話が弾んだ後であつた。彼等の意識が自我に復つたのである。彼等は依然として癩患者である自分を意識し救はれない絶望を感ずるよりも、何か虚しい空隙にぶつかつたのである。一人がごろりと横たはると、次々にごろごろと寝て了ふ。彼等は忘れてゐた病の重さを犇々と感じ、果もなく続いた暗い前途を見るのである。室内はしんとして了ひ、話の弾んでゐる間は忘れ去られてゐた呻き声や、
「あつつッつッ。」
 と痛みを訴へる声などが聞え出し、附添が慌しく医局へ駈けて麻酔の注射を頼みに行つたりする。成瀬の隣は盲人であるが、
「わしや眼の良いうちに、たつた一ぺん、もう一度女房の貌を見たかつたが、成瀬さんもう駄目になつてしまひましたわい。」
 と幾度も幾度も云ふのであつた。
「癩病になつた上に肺病まで貰うて了つて、もう人生もお終ひだわい。」
 さう云ひながら手探りで戸棚の中から写真を取り出して成瀬に見せたりするのだつた。結婚写真である、盲人は首を傾けるやうにして成瀬の様子を伺ひ、写真を覆つたパラフィン紙の音を聞くと、えッへへへへと笑ひながら、惚気る訳ぢやあないがとことはつた後、結婚当時の生活が如何に幸福に溢れてゐたかをくどくどと納得させるのであつた。成瀬はからかつて見る気も起らず、嘔吐を催すほど、眼やにの溜つたのを見ながら、やがては自分もこの男のやうになつて行くことであらうと、暗い気持に襲はれるのであつた。
 成瀬の枕許すぐのところに、この病室の西の出入口があつた。そこを出るとすぐ廊下になつてゐて、廊下を渡ると別室があつた。小さな病室で、畳にすれば八畳くらゐであらうと思はれる部屋が二つ並んでゐ、内には各々二つ宛の寝台が置かれてある。この部屋は普通には「別室」或は「特別」と呼ばれてゐる、実は堕胎病室でありまた産室なのである。此頃は精系手術が行き届くやうになつたため堕すことも稀にしかなくなり、また子供を胎んだまま入院して来たやうな患者にはこの部屋で産ませる、出来た子供は未感染児童保育所といふのに直ちに送られ、そこで育てられる。そのためこの病室は不用になつてゐることが多く、他の病室が満員になつてばかりゐる現在は男患者もこの部屋へ入れられてゐた。成瀬は暇に任せて時々この廊下へも出て見ることがあつた。
 右手の部屋には今一人姙婦がゐた。彼女はもう臨月に近い大きな腹を抱へて、時々は成瀬等の方へと姿を見せた。彼女の話すところによると、子供を胎んだのは院外の自家であるが、胎むと共に急激に病気が重り、せめて子供だけでも外で生んで来たいと思つたのであるが、この貌になつては産婆さんも呼べないと、そこまで云ふと大ていは泣き出して了ふのであつた。まだ年は二十八歳だと云ふが、一見するところでは三十なのか六十なのか見当もつかない。眉毛など勿論無く、貌全体に無数の結節が出て、中にはもう頽れかかつたのもあると見えて、所々に絆創膏が貼りつけてあつた。彼女は物語を始めると泣き出して了ふのだつたが、平常はひどく呑気な性に見え、彼女の部屋からは絶えず唄声が聞えて来た。大きな声で唄ふのではないが、西端にゐる成瀬の耳へは良く聞えるのである。貌と反対に美しい声で、恐らくはやがて生れる子供の産着うぶぎでも縫つてゐるのであらう、浮き浮きした調子が感ぜられた。彼女は子供を産むことに女性的な本能的な喜びを感じながら、同時に癩の身を考へて、嬉しいのか悲しいのか自分でも判断のつかない状態にゐるのであらう。唄声が聞えてゐるかと思ふと、急に泣声に変つてゐたりすることもあつたからである。恐らくは、悲しみや不安や絶望や、喜びや楽しみやを同時に感じて混がらかつた感情の波に彼女自身もどうしやうもないので、殆ど同時に泣いたり笑つたりをするやうになつたのであらう。成瀬は識らずしらず彼女に対して鋭い視線を向けてゐる自分に気付いたりするやうになつた。
 そして彼を驚かせたのは、彼女に対して今三人の若い患者が競争してゐることであつた。一人は体の小さい乾性で口がぐいつとひん曲つて絶えず涎を垂らし、その涎をひつきりなしに指の無い握りこぶしで拭つてゐた。他の二人は物凄いばかりに大きな男で両方共に湿性であつた。
 夕食が終ると急に病室内は騒がしくなる。これは各舎から病室見舞にやつて来るからである。これらの見舞人の中にその三人もきつと這入つてゐた。彼等は彼女の所へ来たのではないといふ風に、暫くは他の病人達の枕許に寄つて話し込んでゐるが、絶えず彼女の部屋の方を伺つてゐた。彼等は無論恋仇であるからお互に白を切つて、出会つても、
「やあ。」
「やあ。」
 と声をちよつと交はすだけで立止つて話し会ふやうなことは一度もなかつた。そのうち一人が機会を狙つて彼女の部屋へ這入つて行くと、他の二人は一向気付かぬといふやうにしてゐるが、その男が出て来るまでは落着かない様子で、向うの病人の所へ行つて見たり、こつちの病人の所へ寄つて見たりする。出て来るが早いか二人は各々鋭い眼付でその男を見、やがてまた他の一人が這入つて行く。それが出て来るとまた他のが這入つて行く。勿論表面は病室見舞であつて、何の不思議もないのであるが、かうして三人の暗闘が夕方毎に募つて行くのを、成瀬は浅ましいとも思ひながらしかしやはり興味深く眺めるのであつた。しかしさすがに成瀬は、まだこの女の部屋へは一度も這入つたことがなかつた。それに彼女の部屋は北側にあつてそつちは出口もない突き当りであつたので、部屋の前へも行つて見なかつた。
 左手の部屋には男病人が二人ゐた。その部屋の前の廊下に立つてゐると北側の窓――つまり女の部屋の前にある窓――から涼しい風が吹き込んで来るので、彼は時々そこへ出て見ることがあつたのである。廊下から硝子戸越しに部屋の中が覗かれるが、何時見ても二人の病人は寝てゐて貌を見る機会がなかつた。廊下から覗くと、二人共頭をこちらにして寝てゐるのであるが、枕許の戸棚が邪魔になつて頭の先も見えない、戸棚にぶら下つてゐる熱型表が正面から見え、それがもう何枚も重なつてゐる所を見ると、昨日今日に入室した者とも思はれなかつた。熱型表は勿論一枚で一ヶ月である。一人はかなりの高い熱で苦しめられた跡を示してゐるが一人は熱はさほどになく、たいていが七度――赤線であるから良く判る――以下を上下してゐた。
 またこの部屋に特別彼の注意を惹かせるのは、ここへ毎日二三度は必ず若い女が出入するからであつた。部屋の前の廊下には南手に出入口があつて、恐らくはこの二つの部屋の専用につけられてあるのであらうと成瀬は思ふのだつたが、若い女は何時もこの出入口から何時もこつそり来てはまたこつそりと帰つて行つた。彼女は、熱の低い方の男の妻君か、或は兄妹であらう、成瀬の観察ではどうも妹らしいと思はれるのである。部屋の中へ這入つて行くと彼女は、先づ熱の高い方のベッドへ向つて一こと二こと見舞の言葉を云つてからすぐ自分の夫、或は兄の方へ向き直つて、ぼそぼそと語り合つたり、男の命に従つて煮物を始めたりした。部屋の中に火鉢を置いては暑いとあつて、何時も火鉢は廊下に出されてあつたので、煮物を始めると成瀬は何故ともなくこの廊下へ出るのも遠慮勝になつた。年齢は二十はたちをもう二つ三つ過ぎてゐるであらう。以前に湿性であつたのが乾性に変型したのに違ひなく、眉毛が薄くなつてゐるが浸潤や潰瘍は少しもなかつた。それにまた左手の小指とくすり指の二本が半ば内側に曲り込んでゐて、親指のあたりの脱肉が目立つてゐた。脱肉は勿論乾性即ち神経癩の証拠で、これは栄養神経が破壊される結果筋肉が萎縮するのを云ふのであるが、乾性のひどいのになると体が乾瓢のやうになつて、少しも形容ではなく骨と皮ばかりになる。しかしもう少くとも九ヶ月に近い間癩患者を眺め、また彼自身の病状も見て来た彼には、病気に対する見透しはかなり鋭敏になつてゐた。かういふ鋭さといふものは何の病気を病んでも同じであらうが、医者などの及ばない第六感的なものを持つてゐるものである。この女の病気はもうかなり古いものであらうが、しかし「堅い」種類のものに相違ないと成瀬は直観した。病気が堅いといふのは一種感覚的な要素を含んだこの病院独特の言葉であるが、兎に角彼女の病気はもう五年や六年、ではなく十年くらゐは病んでゐるであらうし、それでゐて進行の度合が非常に少く、ひよつとするとこれから先十年くらゐもこのまま保つてゐるかも知れない。成瀬は自分の病気が発病した時のことをふと思ひ出し、その時医者が癩は肺病よりも恐れの少い病気で、現代の医学では必ず癒る、と云つたのを頭に浮かべながら、苦笑せずにはゐられなかつた。といふのはさういふ医者の説に従へばまさにこの若い女などは全治してゐることになるからである。
 ところが或日、成瀬はふとした機会から彼女と口を利くやうになつた。それは彼が入室してからちやうど十五日目にあたつてゐた。その朝、眼を醒ますと珍らしく空が晴れてゐるので、久しく日光にあてなかつた布団を外へ持ち出したのであつた。そして彼は、附添夫の一人に手伝つて貰つて顔や手足の繃帯を解き、新しいのと取り換へた。繃帯と云つてもこの病院のは一種特別なもので、繃帯と云ふよりも白いぼろ布を細く剪つたものと云つた方が良いくらゐで、それは幾度でも洗濯して使用されるので所どころに膿や血のしみがついて、大変薄黒いやうな色をしてゐるのである。それでももう汗臭くなつたのと巻換へた時には幾分は爽かな気持も味はひ、長い間覗いても見なかつた本の一冊を戸棚の中から取り出して目を落して見る気持にもなつたのであつた。熱瘤はもう大分色が白くなつてゐて、押して見てもさほどの痛みも覚えないくらゐになつてゐた。この分なら間もなく退室出来るであらう。その日の朝の検温――検温は朝夕二度看護婦が各病室を巡つて来る――には三十七度五分といふもう殆ど平熱に等しい体温であつた。
 検温が終つて間もなく、
「あのー、布団はどなたですの、雨が降つて来ましたわ。」
 廊下に立つてこちらを覗きながら、幾分切口上めいた調子で云ふ彼女の声が聞えた。細い声で、おどおどするやうなぎこちなさが感ぜられた。
「ああ僕のです。ありがたう。」
 成瀬は急いではね起きると、外へ出た。真黒い雲が、もう空をすつかり覆つて了ひ、二重にも三重にも重なり合つて北へ流れてゐた。大粒の雨がぽつんぽつんと貌に当つて散つた。手早く二枚を一度に肩に掛けて、成瀬は部屋に飛び込み、後の一枚を濡らしてはならぬと急ぎ足で出て見ると、それを両手に抱へて彼女が這入つて来る所であつた。
「すみません、ありがたう。」
 と云つて成瀬が手を出すと、
「濡れましたわね。」
 雨のあたつたところどころが、丸く濡れてゐた。彼女の頭髪の一ヶ所が露になつて白く光つてゐた。さつきのおどおどした声に似ず彼女は平然としてゐ、動作は少しも取乱した所なく落ついてゐた。布団を敷き成瀬は横になつて暫く彼女の言葉を味はつた。なんとはなく陰のある低い声であつたが、何か確りしたものが底に潜んでゐるやうな響きがあつた。彼女は今日もまた火鉢の側に蹲んで兄の煮物を始めた。病院から出る貧弱な食物では病人の衰弱を食ひ止めることは困難で、誰もかうして自分の食物を作るのである。何気なく成瀬が彼女の方を覗くと、懸命に炭火を吹いてゐた彼女がちやうど貌を上げたところで、ふと視線が合つた。彼女は自然な微笑を一つするとまた以前のやうに火を吹き初めた。成瀬が微笑んで見せた時には、もう彼女は火の方を向いてゐた。
 雨足が急に激しくなつて来ると、遠くの方で雷が鳴り初め、室内がすうつと暗がつて来た。


「検温ですわ。」
 午後になつて、少し熱が出たやうな感じがあるので横になつてゐると何時の間にかうつらうつらとしてゐたのである。雨は止んでゐないのみか、前よりも一層激しく、窓に吹きつけてゐた。





底本:「定本 北條民雄全集 上巻」東京創元社
   1980(昭和55)年10月20日初版
初出:「定本 北條民雄全集 上巻」東京創元社
   1980(昭和55)年10月20日初版
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:Nana ohbe
校正:富田晶子
2016年9月9日作成
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