「親分、變な野郎が來ましたぜ」
ガラツ八の八五郎、横つ飛びに路地を突つきつて、庭口から
「何處へ何が來たんだ。相變らず騷々しいなお前は」
平次はとぐろをほぐして、面白さうなこの注進を迎へました。
「
ペロリと舌を出して、
お靜の手が屆くので、何處から何處まで
「お城と言はないのが見付けものさ、――いづれお
そんな話をして居るところへ、
「頼まう」
などと、權柄らしい聲が聞えて來ました。
さて、女房のお靜に取次がせて、たつた一間きりの六疊に通されたのは、八五郎が前觸れをした通り、肥つた中老人と、痩せた若い武家の二人。
「拙者は指ヶ谷町に住居いたす、
「拙者は富坂町に住んでゐる
それは痩せた若い方でした。二人は名乘りをあげて、眞四角にお辭儀をするのです。岡つ引風情に
錢形平次は膝つ小僧を揃へて、相手の出やうを待つ外はありません。
「外ではないが、平次殿。折入つての願ひがあつて、我々兩名わざ/\參つたが、何んと聽いてはくれまいか」
川前市助が先に口をきりました。よく肥つて、脂ぎつて、鼻が
「――」
平次は默つて控へました。用件も言はずに強引に引受けさせようと言つた、この味噌摺用人の權柄らしさが氣に入らなかつたのです。
「實は、他聞を
川前市助、部屋の隅に引つ込んでゐる八五郎の長んがい顏を、横眼でジロジロと
「その野郎なら御心配なく、――
「容易ならぬ大事だが」
「それぢや何んにも仰しやらずに、お歸りを願ふ外はございません。お勝手には女房が居りますし、少し大きい聲を出せば、向う三軒兩隣りへ聞えるやうな、淺間な住居でございます」
「それに入口には酒屋の
八五郎はまた餘計な口を出したのです。自分を邪魔扱ひにされたのが小癪にさはつたのでせう。
「默つて居ろ。その調子だから、人樣はお前の顏を見ると要心するぢやないか」
「へエ」
「こんな野郎でございます。どうぞ御心配なく」
「左樣か、では申上げるが、他言は堅く無用に願ひ度い――實は小石川傳通院
「?」
平次は默つてその先を
「――二臺の
「千兩の金は、
「――」
「昨日一日必死の探索をいたしたが、誰の仕業ともわからず、何處へ持去られたものか
「――」
「當今江戸中で名の高い平次殿、――
用人川前市助は、その高慢な
「出かけるんですか、親分」
路地の外へ立去る二人の武家の後ろ姿を見送つて、ガラツ八の鼻はキナ臭く
「折角の頼みだ、兎も角行つて見ようよ」
「へツ、あの高慢な面を見ると、小癪にさはるぢやありませんか、放つて置きませうよ。千兩箱なんか何處かの
斯んなことを言ふ八五郎です。
「馬鹿、何んといふ事を言ふんだ」
「へエ」
「武家の内輪事に首を突つ込むのは嫌だが、放つて置くと
「腹なんか切りつけて居ますよ。あの手合は」
「止さないか八。いくら權柄面が癪にさはつても、見す/\二人三人の人を殺すわけには行かない。お前も來るが宜い、久し振りの寶搜しだ」
平次はそんな風に考へて居るのでした。
不服らしい八五郎と一緒に、富坂町の
「成程、この邊は惡くありませんね。水戸樣と傳通院の末寺に
相變らず八五郎は太平樂でした。
遠慮してお勝手から訪れると、小女に取次がせて、
「錢形の親分で? 表へ行つて下されば宜いのに――」
と、如才なく迎へてくれたのは、二十四五のこれは拔群の美しい
總體にお人形のやうに整つた顏は、少し
續いて主人の千本金之丞が出て來て、手を取らぬばかりに二人を案内しました。小旗本や御家人の屋敷に共通の、天井の低い、窓の小さい、間數の多い家で、狹い廊下を曲りくねつて奧へ通されると、其の行き止りの八疊に、三十二三の立派な武家と、先刻平次のところに訪ねて來た、用人の川前市助が、
「平次が參りました」
千本金之丞が披露をすると、
「左樣か、それは御苦勞であつた」
客の武家は輕く
「飛んだ御災難で」
「察してくれるか、平次。千兩の金はどうにでもなるが、御簾中樣が心をこめられた御奉納の品々と、御墨附は取返しがつかない。あれが無くてはこの島五六郎腹を切つても追ひつかぬところだ」
島五六郎は眉を
「前後のこと、
平次の問につれて、島五六郎と、用人の川前市助は、もう一度事件の起つた前後の事情を説明してくれるのでした。
それによれば、千兩箱一つと、奉納の品々はそれ/″\三方に載せて
が、嚴重に見張つて居たと言つても、二た晩も不眠の番が續いては、さすがに疲れないわけにはゆきません。曉方二人とも、ツイ、トロトロとなつて、
「ハツと氣が附いて
「隣りの部屋には?」
「島家の若黨の丑松と、隣りの酒屋、森川屋の伜又吉が、大きな眼を見張つて居たと申して居る」
川前市助は
「お屋敷の外は?」
「町役人が
川前市助の言葉には、自信が滿ち充ちて居ります。
それから丸一日、井戸から床下まで調べ拔いたが、千兩箱も奉納の品々も何處からも出て來なかつたのです。
「念のためにお訊きしますが、二つの燭臺の蝋燭は、燃え盡きて居ましたか、それとも吹き消されて居たでせうか」
平次は妙なことに氣を配りました。
「風もないのに、消えて居たやうに思ふが。
「左樣」
千本金之丞あわてたやうに
「失禮ですがお二人共お酒はよく召上がることでせうな」
「いや、千本殿は見かけに寄らぬ大酒だが、私は身體に似氣なく
これも川前市助の答へです。
「酒には何んにも入つて居たわけではない。宵に一
島五六郎は口を容れました。
錢形平次は尚ほも見廻しましたが、床の間には空つぽの三方が三つ四つ並んで居るだけ、天井から床下まで調べたといふ場所に、何んにも隱されて居る筈もありません。
隣りの部屋を覗いて見ましたが、其處にも何んの變つたことがある筈もなく、念のため、その晩隣りの部屋に居たといふ島家の
「何にか氣の附いたことはなかつたのか」
と訊くと、三十二三の威勢の良い若黨丑松は、
「氣が附いたことがあれば、親分に手數を掛けるまでもなく、この俺が千兩箱を搜し出して、褒美にありつくところだが――」
と
「寢ないのが、二た晩續いて
隣りの伜の又吉は、白い額を叩くのでした。二十五六でせうか、少し粗野ではあるが、精力的な好い男振りです。
「戸締りに變つたところはなかつたのか」
「あるわけはないよ。奧の八疊の縁側は主人の
丑松は
他に千本家の者といふと、お信といふ十八になる下女が一人と、
「私は何んにも存じません。まことに困つたことで」
と打ち
「親分、この邊は高臺で井戸は飛んだ深いやうですね」
「
さう言へばそれまでの事です。
それから、家の内外を、もう一度念入りな調べが始まりました。八五郎と丑松と又吉の三人は、縁の下へ
夕の膳には、美しい内儀お浪の心盡しで、一本づつ附きました。奧の方は島五六郎と主人の千本金之丞、次の間では川前市助、お勝手では錢形平次と八五郎、若黨の丑松に隣りの伜又吉、それぞれほぐれない心持で、兎も角も
「なア、御主人。錢形とか平次とか言つて、當今大した評判だが、見ると聞くとは大きな違ひ、半日
カラカラと笑ふのは、大分醉ひが廻つたらしい、客の島五六郎でした。それに對して主人の千本金之丞は、何やらゴトゴトと
「親分」
八五郎は早くもそれを小耳に挾みました。
「宜いよ、何んとでも言はして置け」
平次は別に取合はうともしません。
「喃、
島五六郎の放言は尚ほも續きます。あのお
「八、俺の惡口を言ふのは構はねえが、町方一統の惡口は聽き捨てになるまいな」
「さうですよ、親分」
「今までは、少し甘く見て居たのだ。無くなつた品が、確かに外へ持出されないと判れば人間の手で隱したものを搜し出せない筈はあるまい」
「何處へ行くんです親分」
「此處にある筈で、見當らないものが、もう一つあることにはお前は氣が附かなかつたか」
「へエ?」
「千兩箱といろ/\の有難い物を積んで來た吊臺は二臺あつた筈だ。それを何處へやつたか訊いて來い。九月九日に、そんな勿體ない品物を、お手車で傳通院へ持込む筈はないし、その邊の
「それなら解つて居る。吊臺は邪魔になるから、――と言つて外へ置くわけにも行かず、お隣りの酒屋、森川屋の
若黨の丑松が口を容れます。
「其處だ。八、來い」
平次は立上がります。庭へ降りると、さゝやかな植込を廻つて、黒板塀に三尺の切戸があり、其處は輪鍵が掛つて居りますが、
「八、皆んな呼んで來るが宜い。この吊臺の中に無かつたら――武士なら腹を切るところだが、俺はそんな痛いことが嫌ひだから、せめて
「大丈夫ですか、親分」
八五郎は
「平次、大層威張つた口を利いた樣だが、千兩箱が見附かつたといふのか」
島五六郎はよろりとして離屋の柱につかまりました。
「へエ、外へ持出さなきや此處より外に隱す場所はありません。もとの吊臺へ
「?」
「この通り」
平次は手前の吊臺の油單を剥ぎましたが、それは
「成程」
島五六郎はフフンと鼻を鳴らしました。
「もう一つ」
奧の吊臺の油單が剥がれました。其處には何んと姿を隱した千兩箱が、そのまゝチヨコナンと据ゑられて、對も切らずにあるではありませんか。
「あツ、有つた」
島五六郎、川前市助の二人は、身分も
「それぢや、あつしはこれでお暇を頂きます。日當には及びませんが、これだけのことを申上げて置きませう。あとの品々は、いづれこの近所に隱されて居ることでせう。
「親分、
酒屋の表口へ悠々と拔ける平次の後ろから、八五郎はブリブリしながら
翌る日の朝、あの
「親分、大變なことになつた。直ぐ來て見て下さらぬか」
肥つたのが小石川から驅けて來たのでせう。
「どうしたのです、川前樣」
平次はまだ朝飯前だつたのです。
「御鏡、懷劍などは何處にも見附からない。隣りの森川屋を一と晩搜したが――」
「森川屋には無いかも知れませんよ」
「それぢや何處へ行つたのだ、平次殿」
「そいつはあつしにもわかりませんよ。あの酒屋の伜――又吉とか言ひましたネ、あの若いのに訊いて御覽なさい」
「その又吉が殺されたのだ」
「えツ」
これはさすがに平次も驚きました。
「今朝、
「成程そいつは大變だ。あの男の口を
「だから平次殿。この通り」
昨日の主人の雜言を知つて居るだけに、川前市助の
「拜まれちや嫌とも言へませんが、支度がありますからちよいと待つて下さい。
「必ず來てくれるだらうな。酒屋の伜は自業自得で殺されたことだらうが、お鏡やお墨附が出て來なくては、島樣御一家の難儀だ。頼みますぞ、平次殿」
念を押して立去る川前市助と入れ違ひに、八五郎は相變らず寢起きの良い顏を持つて來ました。
「八、あのお鏡も懷劍もお墨附も出て來ない上、酒屋の伜が殺されたとかで、用人の川前さんが青くなつて飛んで來たよ」
「へエ、
「お前は矢つ張り良い御用聞だ。御用人の川前さんは、酒屋の伜の死んだのはどうでも宜いが、お鏡やお墨附を搜してくれと、そればかり言つて居たよ」
「呆れた
「ところで、こいつは飛んだ奧行が深いよ。お前は一と足先へ行つて、島、千本兩家のいろんな事を洗つて見てくれ。半日がかりで調べたら、
「やつて見ませう。あの味噌擂用人なんか、何處かの縁の下に
八五郎はそんな氣樂なことを言つて
それから平次は悠々と腹拵へをして、富坂町へ行つたのはもう陽が高くなつてから。用人の川前市助に案内されて、いきなり庭へ入つて行くと、
「この邊だ、又吉が殺されて居たのは」
用人は大地を染めた血潮を指さします。
又吉の死骸は、酒屋の離屋に取納めて、一應の檢屍を待つて居りました。切戸の側とは言つても、森川屋の地内で殺されて居たに相違なく、千本家は何んの關係もないことに申合せて居たのです。そんなことが氣になるのか、用人の川前市助は、さつさと千本家の庭へ引返します。
死骸の側に居るのは、父親の藤七と雇人達、平次の顏を見ると雇人達は遠慮して藤七だけが後に殘りました。
「あの切戸は閉つて居たのかな」
「へエ、
藤七の
「昨夜又吉はその家搜しを手傳つたことだらうな」
「いえ、飛んでもない。この間の晩伜の又吉が、頼まれてお隣りのお屋敷に見張りに參り、その時いろ/\の物が紛失したやうで、妙に白い眼で見られて居りました。その上無くなつた千兩箱が、私共の離屋に預つた
「日頃お隣りの千本樣とは
「御武家と町人で、身分の
「御隣りの千本金之丞樣はどんな方だ。腹藏のないところを聽き度いが」
平次は折入つた調子でした。
「
森川屋の亭主――殺された又吉の父親藤七は思はず
森川屋藤七の話といふのは、隣りの千本金之丞といふ人は、見かけは一とかどの武家ですが、今の内儀のお浪を嫁に貰つた頃から、妙に氣拔けがしたやうで、氣の毒なことに近所の衆も眞人間としては附き合はず、日毎に
「尤も御内儀はあの通りのきりやうで、その上世に珍らしい智慧者でございます。お里は
「何、あの、島五六郎殿と、許嫁?」
これは錢形平次にも初耳でした。
「その後島五六郎樣の方は、二千石の大身三宅彈正樣の御息女お幾樣と縁談が
「――」
「それから間もなく、お浪樣はお隣りの
酒屋の亭主藤七は氣の毒さうには言つて居りますが、伜又吉の非業の死を、隣りの千本家のせゐにして居るらしく、なか/\に
「その島五六郎樣は、
「それはもう、繁々とお出でございます。お心持は少々變でも、昔からの御馴染で」
「有難う、それだけ聞けば大層助かる」
平次は主人の話を打ちきつて、又吉の死骸の方に向きました。頭を垂れて一禮して、その傷口を調べると。細身の
「親分、
八五郎が汗を拭き/\森川屋へ戻つて來ました。
「御苦勞々々々。俺も大概わかつたが、――千本樣御内儀が、もとは島五六郎樣の許嫁であつたといふ話だらう」
「その通りで、何處で親分は?」
「二人の調べが合へばそれで宜いのさ。ところで、俺はもう何も彼もわかつたやうな氣がするよ。千本樣の屋敷へ行つて、皆んな種明しをするとしようか」
「へエ? 親分はもう解つたんですかえ。あつしには少しもわからねえが」
二人は千本の屋敷へ行つて、改めてお勝手口から案内を乞ひました。
取次ぎに出た下女の小女を
奧へ通されると、相變らず島五六郎と川前市助が、くたびれきつたやうな主人の千本金之丞を間に挾んで、何やらさいなみ續けて居る樣子です。
「平次か、千兩箱が見付かつても、お鏡やお墨附が
平次の顏を見るともう島五六郎の聲が
「御代參は明日でございましたな」
「左樣、大奧の御代參は、明九日正巳の刻(十時)には來られる」
「では、まだ間に合ひます」
「何?」
「物を
「それがまだ解らないと申すのだな」
島五六郎の聲は次第に激しくなります。
「ところが、
「誰が何んの意趣で隱したのだ。先づそれを聽かう」
美男島五六郎は、自分の聲に激發されたやうに、一刀を引寄せてグイと膝を
「それよりは隱された品々の
「――」
「あれでございます」
錢形平次はいきなり縁側へ出ると、裏の板塀の外に天を
「何處だ」
「家の中や庭を搜してもなかつた筈でございます。あの杉の
「何處だ、何處だ」
「杉の幹に絲の端が下がつて居るので氣が附きました。長い
平次の聲の終らぬうちに、島五六郎と川前市助は飛び出しました。若黨の丑松に梯子を持つて來させて、大騷動でその包みを梢からおろすと、押し戴いて中を調べた島六郎は中味に間違ひがないと見ると、主人の千本金之丞夫婦に挨拶もせずに、待機した家來共を從へて、サツと潮の引くやうに傳通院に向ひました。二度目の間違ひの起らぬうちに、それをお寺に屆けて置かうといふのでせう。
「えらい事になりましたね、親分」
「全くえらい事さ。ところで今度は又吉を殺した下手人だ」
平次がもとの縁側へ戻つた時でした。
「大變ツ、御内儀樣が――」
小女のお信が眞つ蒼になつて飛んで來たのです。
「どうしたのでせう親分」
それに
「待て/\八。武家の
引つ立てるやうに平次は引揚げるのです。
× × ×
「どうしたといふのでせう、親分。あつしには少しも解らねえが」
歸る途々、八五郎はいつもの通り繪解きをせがむのです。
「よく解つて居るぢやないか、あの美しい内儀が
「何んだつてそんな事を」
八五郎は
「あの酒屋の伜の又吉を殺したのは、あの美しい内儀さ、――千兩箱といろ/\のお寶を隱したところを見附けて、日頃お内儀に心を寄せて居た又吉が、不心得にも武家の内儀を
「成る程ね」
八五郎は自分の手でその恰好をして見るのでした。
「女に抱きつかれたら氣を付けることだぜ、八」
「へエツ、何んだつて又あの内儀が、金や鏡を隱したんでせう」
「島五六郎が憎かつたのさ。自分を捨てて三宅何んとかの息女――それも滅法綺麗で持參金のある嫁を貰つた、島五六郎を
「するとあの床の間から盜み出したのはお内儀で?」
「いや、曉方、川前市助といふ用人が小用に立つた時、主人の千本金之丞といふ人が、雨戸を開けたと言つたらう、――あの部屋から千兩箱やいろ/\の物を取り出せる
「馬鹿ぢやありませんね、あの主人は」
「いや馬鹿だ、――美しい内儀の言ふ通りになつたのだ。内儀は島五六郎が昔のヨリを戻さうとして、變な素振りのあるのを、わざと主人に見せつけ、少し氣の變になつて居る主人を
「恐ろしい事ですね、親分」
「全く恐ろしいことだよ。妙なものを有難がつたり、人の命を何んとも思はなかつたり」
「だから武家は
「有難いことにこちとらは千兩箱を預けられる心配もないと來て居る」
二人はでも淋しさうでした。輕口を叩き乍らも、千本金之丞の内儀――あのピカピカするやうな美女が、自分の罪の