錢形平次捕物控

二人娘

野村胡堂





「親分、お願ひ、一つ出かけて下さい。このまゝぢや、あつしの男が立たねえことになります」
 相變らず調子外れな八五郎でした。飛び込んで來るといきなり、錢形平次の手でも取つて引立てさうにするのです。
「何を面喰めんくらつてゐるんだ。俺を拜んだところで、お前の男が立つわけぢやあるめえ、――まア落着いて話せ。金で濟むことか、腕を貸せといふのか、それとも」
 平次は朝飯が濟んだばかり、秋の陽のさす六疊にとぐろを卷いて、のんびりと煙草のけむりの行方を眺めて居たのです。
「そんな氣の利いた話ぢやありませんよ。今朝鎌倉河岸の三國屋で變死人があると聽いて驅けつけ、死骸を見るとまぎれもない殺しだ。相手は大家だから十軒だなの徳次郎親分や、町役人までも渡りをつけ、自害といふことにしてとむらひの支度に取りかゝらうとするのを、あつしが一人で頑張つて、其儘にさせて來ましたがね。これが何んのいはくもなかつた日にや、あつし髷節まげぶしでも切るか、十手捕繩を返上しなきやなりませんよ。兎に角ちよいと覗いてやつて下さい」
 八五郎は勢ひ込んで一氣にらちをあけようとするので、ツイつばも飛べば、ほこりも立ちます。
「尤もお前の髷節は俺が見ても氣になつてならねえよ。自棄やけにさう左に曲げるのは、何んの禁呪まじなひなんだ。――思ひきつてそいつを切つてしまつたら、飛んだ清々することだらう――と」
「つまらねえことを」
 そんな事を言ひ乍らも、平次は手早く支度をして、張りきつた八五郎を先に立てて、鎌倉河岸の三國屋に向ひました。
「ところで三國屋で一體誰が死んだんだ」
 道々平次は事件の外廓線アウトラインでも掴まうとするのでした。
「親分も御存じでせう、三國屋の二人娘といはれた、おぬひとお萬のことを」
「聽いたやうでもあるな」
 鎌倉河岸の横町に、狹くはあるが立派な店を構へた御伽羅之油屋おんきやらのあぶらや、麹町九丁目の富士屋と共に、公儀御用の家柄で、町人には相違ありませんが、僅か乍ら御手當を頂いて、わけても内福の聞えがあり、十軒店の徳次郎如きでは、同じ御用聞でも一寸齒が立たなかつたのも無理はありません。
「二人とも大したきりやうですよ。尤も二人は從姉妹いとこ同志で、お縫は二十歳はたち、お萬は十九。そのうちの一人は、三國屋の養子民彌といふ良い息子と一緒にされて、いづれは三國屋の身上をぐことになつて居るのですが、そのうちの一人が今朝喉を突いて死んで居たんで」
「どつちの方だ」
「お縫ですよ、――此方こつちがお萬よりぐつと綺麗だから變ぢやありませんか、――色白で上品で、とほるやうな娘ですよ」
「フ――ム」
「小僧榮吉が、あつしと大の仲良しで」
「向柳原から、鎌倉河岸までわざ/\伽羅きやらの油を買ひに行くのか、お前は?」
 八五郎の思ひの外なるお洒落しやれと、世間附き合ひの廣いには、錢形平次も驚かないわけに行きません。
「そんな事はどうでも構やしません、――その榮吉の使ひが今朝あつしのところへ飛んで來て、お孃さんが殺されたに違ひないから直ぐ來るやうにと言ふ傳言ことづてだ」
「それから何うした」
「一議に及ばず飛んで行きましたよ、すると思つた通り三國屋は八方に渡りをつけて、朝のうちから葬ひの支度だ。あつしは飛び込むといきなりそれを止め、現場へは指も差させないやうに、榮吉に見張らせて親分を迎ひに來たといふわけで――」
「それは宜かつた。が、十軒店じゆつけんだなの徳次郎親分と張合ふのは嫌だな」
 そんな事を考へて居る平次です。


 鎌倉河岸の三國屋は、ひつそりかんと、無氣味なほど靜まり返つてをりました。錢形平次と八五郎が乘込んで行くと、不承/\に迎へたのは、手代の丈太郎といふ、拔目の無い感じの三十男です。
 表掛りはさして宏大ではなく、どちらかと言へば狹く取澄とりすました店造りですが、中へ入つて見ると、思ひの外の構へで、數寄をこらした住居も手廣く、裏に商賣物の油ぐらがあつて、場所柄に似氣なく、小さいながら手入れの屆いた中庭などもあるのです。
 中の間には、駈け付けた近親の人々と、主人の伊兵衞、内儀のお定。それに十軒店の徳次郎が加はつて、白々と平次を迎へました。
「御苦勞だね、錢形の親分」
 主人の伊兵衞はそれでもさすがに濟まないと思つた樣子で、立つて來てホロ苦い愛想笑ひを見せます。
「八五郎兄哥あにいにはかなはねえよ。俺は自害に違ひないと言ふと、自分で自分ののどを突いて、手の汚れない筈はないと斯う言ふのだ、――さすがは錢形の親分の仕込みで、大した鑑識めがねだよ」
 十軒だなの徳次郎は、平次よりは十歳も年上でせう。一時は兎も角鳴らした御用聞でしたが、力と無理押しと、情實と手加減を使ひわけ、近頃はあまり評判のよくない男だつたのです。
「八の言ふことなどは當てにもならねえが、兎も角鎌倉河岸ぢや後日おとがめでもあつた時、存じませんでは濟まされねえ。一と通り見て置かうと思つてやつて來たまでだよ」
 平次は確かにそれを受け流しました。
「でもね、親分。自分の喉を突いて、手へ血が附かないといふ筈はありませんよ」
「馬鹿野郎、袖か何にかに刄物を卷いて刺せば、手に血が附かずに濟むぢやないか」
 平次は八五郎を叱り飛ばして、兎も角も現場に案内させました。
 三國屋の店と續いて別棟べつむねになつた二階には、お縫とお萬の二人の娘が住み、階下したには主人伊兵衞夫婦と、養子の民彌が寢ることになつて居ります。二階に登る梯子段はしごだんは前後に二ヶ所、奧の梯子段は狹くて急で便所に降りるためのもの、表の格子段は廣くてゆるく、これは店に通じて居るのです。
 表の梯子段の下、つまり店の方に近い部屋には主人伊兵衞夫婦が休んで居り、奧の狹い梯子段の下の長四疊には、養子の民彌が寢て居るのですから、夜中二階へ忍んで行つた者があつたとすれば、主人夫婦か民彌か、何方かが氣の付かない筈はないと見るべきです。
 主人夫婦の部屋と養子民彌の部屋の間には、滅多に使はない六疊と板敷の納戸があり、此處から直接二階に行く工夫はありません。
 二階の二た間のうち、表梯子に近い六疊には、若い方のお萬が休んで居り、奧の四疊半は、一つ年上の死んだお縫の部屋になつて居ります。つまり養子民彌の頭の上に、お縫が住んで居るわけで、若い二人が床板ゆかいたと疊とをへだてて、上と下とで、寢て、起きて、考へて、惱み、喜び、笑ひ、泣き、そして互ひの夢を夢みて居たわけです。
 今朝も現にお縫の命を斷つた血潮が、疊の間から床板の隙間を漏れ、下に寢て居る民彌の顏にしたゝり落ちたので騷動になり、思ひの外早くお縫の死が發見されたのでした。
 平次はこれだけ外部的な條件を見極めると、ようやく二階に登つて行きました。
 その二階の正面は三尺の縁が通り、雨戸の内には嚴重な手摺てすりがあつて、庭から梯子で屋根へ登つたくらゐのことでは、容易に忍び込めないやうに出來て居ります。
「今朝の戸締りは?」
 平次は手代の丈太郎を顧みました。
「何處にも變つたところは御座いませんでした」
 丈太郎の答へは事務的で冷たくさへあります。
 奧の四疊半――お縫の死んで居る部屋の前には、小僧の榮吉が神妙に張番をして居りました。
「御苦勞/\、何んにも變つたことはあるまいな」
「――」
 小僧はうなづいて見せます。あまり緊張し續けて居たために、とみには言葉も出ないのでせう。十五といふにしては柄の大きい、正直者らしいかはり、何處か融通のきかないところがありさうです。お仕着せの松坂木綿まつざかもめんあはせ、紺の前掛が油染みて、伸び切つた手足のヌツと出るのも淺ましい姿ですが、その代り八五郎に頼まれれば、板敷の縁側に默つて一刻も坐つて居ようと言つた人柄です。
「あとで訊き度いことがある。此處で待つて居てくれ」
「へエ」
 階下へ降りかけた榮吉はもう一度部屋の前に引返しました。


 お縫の部屋の中は、豫想以上に慘憺さんたんたるものでした。東向きの縁側と西向きの格子窓から、秋の光線は一パイに入つて、その氾濫はんらんする明るさの中に、むごたらしい處女をとめの姿が、血潮の海の中に死の凝結をして居るのです。
 夜のものは敷いたまゝでした。昔は美しくて贅澤なものだつたに相違ありませんが、花色絹の裏もせて、掻卷かいまきの友禪も淺ましくなつて居りますが、それを着て居るお縫の丹精らしく、つくろひも行屆き、折目も正しく、血潮の汚れはあるにしても、取亂した樣子は少しもありません。
 その床の上から引拔かれたやうに、俯向うつむきになつて死んで居るお縫の姿は不思議に夜の寢卷姿ではなく、見よげな晝の姿――帶は解いて居りますが銘仙の袷に、キリキリと赤い扱帶しごきを卷いて居るのが、異樣に目立ちます。
 顏を起してやると、ハツと錢形平次も息を呑んだほどの美しさです。おびたゞしい出血に顏の色はらふの如く白くなつて居りますが、眼鼻立ちの端正さは名人のきざんだ人形のやうで、うつろに開いた眼には、恐怖の影さへもなく、唇にほのかな微笑をさへ浮べて居るのは何んとしたことでせう。
 これが若し人に刺されたものであつたならば、間違ひもなく戀人に抱かれて居る時か、友情と愛とを滿喫して居る時――しかも瞬間的に命をおとしたのでなければならない筈です。
 髮にもまくらのために崩れた跡はなく、それどころか、死顏に薄い化粧の匂ふのは、床に入る前の娘の身だしなみにしても、行き屆き過ぎると言つた感じがないでもありません。
 刄物は少し長目な短刀で、これは後に八五郎の説明で養子の民彌が武家の出であつた爲に、祖先から傳はつた品の一つとして、日頃大事にして持つて居たものとわかりました。その短刀を首へ三寸あまり――今日の言葉で言へば見事に頸動脈けいどうみやくをやられて居るのです。
 血潮は一面ですが、わけても娘の膝を浸した大量の血が、やゝ膠化かうくわして居るのは、凄まじいことでした。
「ね、親分。短刀の柄が朱羅宇しゆらうのやうになつて居るのに、娘の手が血で汚れて居ないのは變ぢやありませんか、――それに親分が言つたやうにたもとで短刀を掴んだ樣子もありませんぜ」
 八五郎の鼻はうごめきます。全く短刀の柄を握つた筈の娘の手が、ほとんど眞白なばかりでなく、袂にも大した血のあとはなく、其邊を見たところ、短刀を握つたと思はれる、きれも紙も見つかりません。
「もう一つ、喉を刺されて膝も崩さずに俯向うつむきになつて居るのをお前は變だと思はないか」
「――」
「あれだけやられると、大概たいがい引つくり返る筈だ、――それが裾も亂さずキチンと坐つて、膝のあたりが一杯の血だ」
 平次が氣の付いたのは、斯う言つた極めて些細ささいなことでした。が、その些細なことがやがて娘の死因を解く大きなキーになつたのです。
「夜中に床の上にキチンと坐つて殺されるのは變ですね」
 八五郎にもそれくらゐのことは氣が付きます。が、外にも平次の腑に落ちないことは幾つもある樣子でした。
「八、娘の身體を調べて見度い。障子を閉めてくれ」
 窓と縁側の障子を閉めさせると、八五郎に手傳はせて、血潮の汚れをけ乍ら、丁寧に娘の袷を脱がせました。平次の心の中では、おびたゞしい出血があるにかゝらず、この死骸の表情の平靜さや、身體に崩れのないのから見て、一たん死んでしまつてから刺されたのではあるまいかといふ疑ひを持つたのです。
「何を調べるんです、親分」
「正面から喉へ短刀を突つ立てられる若い娘が、膝も崩さず、斯んなおだやかな顏で死なれるものだらうか」
「さう言へばさうですね」
「だがな八、――若い娘の檢屍は罪が深いぜ――ことにお前なんか獨り者だから目の毒だ。眼をつぶつて有難い念佛でもとなへて居るが宜い」
「驚いたね、どうも」
 そんな事を言ひ乍らも、襦袢じゆばんの襟をくつろげて、娘の胸から腹のあたりへ調べて行きました。警察醫のない時代は、御用聞の平次自身が、屍體を檢察する外はなかつたのです。
 神聖な處女の肌は、血の氣をうしなつて、清潔さそのものでした。こんもりした二つの乳房の神秘な曲線、鳩尾みづおちから腹部への、なだらかな凝脂ぎようし
「これは何んだ、八」
「毒害ぢやありませんか」
 娘の死體に殘された腹部の斑點はんてんが、すつかり平次を焦立いらだたせたのです。
「いや、違ふ、――後で見立ての良い醫者に訊く外はあるまい」
 死體の胸をかき合せ、床の上にそつと寢かすと、平次はその前にお詫び心のを合せるのでした。


「面白いものがあるぜ、八」
 平次は部屋の隅から、一端にS字型のわなを作り、一端を長く引いた鬱金うこん色の扱帶しごきを見付けました。長い方の端に少しばかり血は附いて居りますが、この部屋にあるものにしては、先づ汚れの少ない方で、不思議なことに罠の一つ、つまりS字型の一端は切開かれて、それを切つたと思はれる大型の手鋏てばさみが、扱帶の側に置いてあるのでした。
「變なものですね。――小僧に訊いて見ませうか」
「それが宜からう」
 八五郎は早速縁側から榮吉を呼び入れると、平次は默つてその扱帶を見せました。
 小僧の榮吉は、それを一と眼見ると、ひどくあわてた樣子で、救ひを求めるやうに、平次と八五郎の顏を見比べましたが、やがて觀念したものか、
「お孃さんは今朝、その扱帶しごきで後ろ手に縛られて居たんです」
 恐る/\斯う言ひきるのです。
「何? それは本當か、――大事なことだが」
「嘘ぢやありません。皆んな知つて居ることです」
「その時のことを、もつとくはしく、順序を立てて話してくれ」
 平次は榮吉の心持を落着かせるつもりでせう、疊の上にしやがんだまゝ、靜かな調子で斯う訊ねるのでした。
「若旦那が、顏へ血が落ちて來たと言つて騷ぎ出したのは、まだ卯刻むつ(六時)前でした。雨戸を開けて居た私は表梯子から、若旦那は裏梯子から登つて行くと、お縫さんの部屋の前で、バツタリお萬さんに逢ひました。――三人で障子を開けて見ると、お縫さんが、んなになつて居たんです」
「その時お縫さんは縛られて死んで居たに相違ないのだな」
「え、その鬱金うこんの扱帶で、後ろ手に縛られたまゝ、喉を突かれて死んで居ました」
「扱帶は誰が切つたのだ」
「若旦那が切りました、――はさみは其處の箪笥たんすの上の針箱にあつたんです」
「それから?」
「兎も角變死だから、十軒店の徳次郎親分に知らせろと言はれて私は飛んで行きましたが、八五郎親分のことを思ひ出して、途中で逢つた角のお酒屋の源吉どんに頼んで、向柳原の親分のところへお知らせしました」
 榮吉は鈍重どんちようらしくはあるが、なか/\確かり者らしく、話の筋もよく通ります。
「八五郎を思ひ出したのは何ういふわけだ」
 近頃大いに賣り込んだとは言つても、平次の腰巾着のやうな八五郎の名が、どうしてこの小僧の念頭にあつたか、平次はそれが不思議だつたのです。
「お孃さんに言ひつけられて居りました。お孃さんは一と月ばかり前から、――私は殺されるかも知れない。萬一私が死んだら、どんな死樣をして居ても、必ず向柳原の八五郎親分に知らせるやうに、八五郎親分は時々お店へ來るから、お前もよく知つて居るだらう――と、何べんも何んべんも繰り返して言つて居りました。そんな縁起えんぎの惡いことは聽き度くないと言つてもお孃さんは承知しなかつたんです。そして、私の耳を引つ張つたり、肩を押へたりして、無理にも聽かせて居りました」
「お縫さんは、格別お前とは親しかつたのかい」
「え」
 榮吉はサツと顏を染めます。十五になつた大柄の少年は、年上の主人筋の娘、――世にもうるはしいお縫に、やるせないあこがれを感じて居たのでせう。
 そして、その純情を見拔いたお縫は、自分の命をけての大事を、この少年にたくしたと見るのが本當らしいやうです。
「もう一つ訊くが――今朝お前がこの部屋の前に駈け付けた時、障子の外で若旦那の民彌ともう一人のお孃さんのお萬に逢つたと言つたな」
「え、鉢合せしさうになりました。表の梯子段を登つた私と、裏梯子を登つた若旦那と、隣の部屋から飛び出したお萬さんと」
「その時、二人はどんな樣子をして居た」
「お二人とも寢卷でした、――お萬さんなどはひどく取亂して居たので、氣が付いてあわてて隣の部屋へ歸つてお着換きかへしたやうです」
「隣の部屋――お萬さんが飛び出した部屋の中をお前は見なかつたか」
「床を敷いてあつたやうです」
 榮吉の答へはそれで盡きました。


「八、縁側に居るのは誰だえ」
「手代の丈太郎ですよ」
「呼んでくれ」
 縁側にブラブラして居るのは、平次と八五郎を案内した若い手代の丈太郎ですが、恐らくそれとはなしに、榮吉の調べの模樣などを立ち聽きして居たのでせう。
「何にか、御用で――」
 丈太郎は青白い細面で、ゆがんだやうな顏をした男ですが、才氣走つてニヤニヤして、何んとなく相手に油斷のならぬ氣持を起させます。
「お前は此家に何年くらゐ奉公して居るんだ」
「丁度十五年になります」
「大層長いことだな。店を持つとか暖簾のれんを分けて貰ふとか、そんな話はないのか」
「年季を無事につとめて、お禮奉公もすんだとき、そんな話も御座いましたが、何んと申してもんな商賣はお得意樣がないと立ち行きません。なまじケチな店などを持つよりはと、私から望んで餘分の給金を頂いて、引續いてお店で働いて居ります」
 この男には、外に何にか望みがありさうにも見えましたが、平次は深くも追及せずに問ひを變へました。
「それではお前はいろ/\の事を知つて居るだらう、――先づ第一に二人のめひのこと、若旦那の民彌のこと、この家の主人のことなどを訊き度いが」
「私も深いことは存じませんが、――まア知つて居るだけのことは申上げます。お二人の姪御さんは、負けずおとらず綺麗ですが、御主人は姉の子だからといふので、お縫さんの方を若旦那に娶合はせ、三國屋の跡取にするおつもりだつたと思ひます。別に表向の御披露ごひろうがあつたわけではございませんが、お萬さんにくらべるとお縫さんの方は歳も一つ上だし、分別もあり、人柄も上品でございました」
「――」
 平次はあとをうながしました。
「ところが、近頃になつて、何うしたことか若旦那のお心持が、陰氣なお縫さんを離れて、可愛らしくて陽氣なお萬さんに向いて行く樣子でございました。――御主人御夫婦は、そんな事などは考へてもゐらつしやらなかつたことでせう。若い者の心持の少しばかりの動きやうなどは、中年過ぎの御夫婦にわかる筈もございません」
「――」
「そんな事で、お縫さんは近頃すつかり沈んで居りました。常日頃陰氣の方が尚更暗くなると、益々若旦那の心持が離れて行つたことでございませう」
 丈太郎はんな事までヅケヅケと言ふのです。普通の雇人やとひにんとしては、考へられないほどの打ちあけ話ですが、その言葉の底には、何にか知ら一種のふくみがあるのかも知れません。
「ところで、あの死骸の首に突つ立つて居た短刀は若旦那の民彌の物だといふことだな」
 平次は八五郎から聽いたことを確めました。
「左樣でございます。若旦那は武家の出ださうで、自慢の短刀でございました。りの少ない、直刄すぐばの短刀で、昔あんなのは大將よろひの腰に差した、鎧通しだつたさうで」
さやはなかつたのか」
「へエ、最初からこの部屋にはございませんでした」
「お縫の手を後ろに持つて居たといふ鬱金うこん扱帶しごきは?」
「お萬さんのもので御座います。大層品も染も良いさうで、これも自慢の品でございました」
 平次は丈太郎の話をこれだけで打ちきつてしまひました。この男はかしこさうですが、言ふ事に毒があつて、手當り次第誰の罪でもあばき立てるので、うつかりすると此方の搜査が迷はされさうでなりません。
 小僧の榮吉と手代の丈太郎が立ち去つた後平次は八五郎と力をあはせて、この一廓上下四つの部屋を徹底的に調べ始めました。
「なア、八。二階の窓も雨戸も異状がないとすると、下手人は隣の部屋のお萬か、裏梯子の下に寢て居た民彌か、表梯子の下に居た主人夫婦の外にはないことになるわけだ」
「その通りですよ、親分」
 平次は先づ隣のお萬の部屋の搜査から始めて、獨り言葉もなく、自分の頭腦の中の考へを整理して行くのです。
「主人夫婦には、めひのお縫を殺すわけはない。お縫は孤兒みなしごで、金も身分もなし、それに少し陰氣ではあつたが、申分なく綺麗で、上品で、優しくもあつた」
「――」
「すると下手人は若旦那の民彌か、從姉いとこのお萬といふことになるが――」
「おや/\、八、これは何んだえ」
 平次はお萬の部屋の箪笥たんすの中から、隣の部屋でお縫の手を後ろに縛つてあつたといふ、鬱金うこん扱帶しごきと全く同じ品を見付け出したのです。二つの扱帶の違ひは、お縫を縛つてあつたのは、一端にわなを作つて、その罠がはさみで切られてあり、お萬の部屋から見付け出したのは、全くの無疵むきずで、心持お縫を縛つたのより古びを持つて居ることでした。
 平次は隣の部屋から、お縫の手を縛つた扱帶を持つて來て比べて見ました。が、果してその方は眞新しく、その上、改めて調べて見ると、わなはひどく嚴重で、咄嗟とつさの間には解けさうもないこと、それから長く引いた一端は罠を構成する輪を締めるやうになつて居て、それを激しく引くと、罠は益々固くなることがわかつて來ました。
 つまり斯んな具合に縛られて、扱帶しごきの長い方の一端を引かれて居ると、逃げようとすれば、結び目は益々固く締るわけです。
 裏梯子を降りると若旦那の民彌の部屋で、平次はそこで短刀のさやを見付けました。それも別に隱して居たわけではなく、押入の行李かうりの後ろに無造作に投り込んであつたもので、この短刀の中身でお縫が死んだのを承知して居る民彌が、こんなところへ投り込んで置いた無關心さは大きな謎です。


 それからの平次の行動は、八五郎の豫想を全く裏切つたもので、どちらかと言へば、奇怪至極でさへあつたのです。
 八五郎の考へでは、お縫殺しの下手人として、當然お萬か民彌を縛るべき筈ですが、平次はそんな氣振りもなく至つて平坦へいたんな態度で、この若い二人に逢つたのです。
「お孃さん。死んだお縫さんとは、仲が良かつたのだね」
「え、それはもう――一緒に三年も暮したんですもの、まるで姉妹のやうでした」
 お萬は愛想の良い娘でした。クリーム色の丸ぽちやで明るくて、笑顏の滅法可愛らしい――自分もまたそれを意識して、從姉いとこのお縫が死んだといふのに、柔かい微笑を斷やさないと言つた、世にも目出度い處女むすめだつたのです。この可愛らしい十八娘が、自分の鬱金うこん扱帶しごきを持出して、年上の從姉を縛つて殺すなどといふことは、どう折合つても考へられないことでした。
「お孃さんの鬱金の扱帶と同じものを、お縫さんが持つて居たことを知つて居なさるのかえ」
「いえ――お縫さんは、あればかりはうらやましがつて居ましたが」
「お縫さんの手を後ろで縛つて居た扱帶を、見たことだらうな」
「えゝ、見ました、――私のとよく似てゐるけれど、違つて居ます。私が見れば一と眼でわかるのです」
 お萬から訊き出せることは、これが精一杯です。昨夜のことは、よく眠つて居て何んにも知らず、今朝民彌と榮吉の聲に驚かされて飛び起き、お縫の部屋を覗いてきもをつぶしたといふのに恐らく嘘はなかつたでせう。
 若旦那の民彌は武家の出といふだけで、態度にも言葉にも武家風のところは少しもなく、全く大町人の典型的な若旦那です。
「お縫は氣の毒なことをしました、――人にうらまれる筈はないのだが――」
 そんな調子で腑に落ちない顏をするのを、
「近頃若旦那に嫌はれて、沈んでゐたといふことだが、そんな事もあつたのですかえ」
 平次は無遠慮に突つ込んで行きます。
「誰がそんな事を言ひました、――丈太郎の奴でせう。あれはお萬に附きまとつて居たが、お萬にひどく彈かれて妙にそんな事をうらみに持つて居たやうだから」
 民彌はかへりみて他を言ふのです。
「お縫さんを殺した短刀は、お前さんのだといふことだが、氣が付いたのは何時で」
「すぐ氣が付きましたよ、――でも隱し立てをしては惡からうと思つて、わざと其儘にして置きました」
さやは?」
「さア、私の行李かうりの中にある筈だが」
 これは又恐るべき無頓着さです。
「お縫さんを後ろ手に縛つた扱帶しごきを切つたのは、お前さんだといふことだが――」
「それは私がやりました。死んだ者にしても、後ろ手に縛つたまゝにして置いては痛々しいし、それにあの鬱金の扱帶を最初はお萬の品だと思つたので、解くのももどかしくはさみで切取り、何處かへ捨てるか隱すかしようと思ひましたよ。ところが、お萬から自分の品ではないと聽いて、そのまゝ部屋の隅に置いたまでのことです」
 若旦那民彌は斯う言つた男でした。細工さいくも掛け引もないところが、どんなに平次を好い心持にさした事でせう。主人の伊兵衞は權高な町人で、公儀御用が鼻の先にブラ下がりますが、事件については何んにも知らず、お縫お萬の二人の姪に對する愛も均等で、民彌が氣に入りさへすれば、何方を嫁にしても宜いと言つた程度の考へしかありません。
 平次は八五郎をうながしてそれつきり四國屋から引揚げて歸りました。そして駿河臺下の名醫で、かねて知合ひの内科醫、内藤梁庵りやうあんを訪ねてお縫の腹部の斑點のことについて丁寧に尋ねると、老醫梁庵は、
「同じことを三月ばかり前に若い町人の息子が訪ねて來たことがあるよ、――そいつは氣の毒で明ら樣には言へなかつたが、錢形の親分には話しても差支へあるまい。それは業病ごふびやう徴候しるしだよ、そのまだらなところは、突いても切つても痛くはない筈だ、――それから、その人の鼻の穴の中を見なかつたかな、――たゞれがあるかも知れない、氣の毒なことぢや」
 梁庵老はさう言つて首を振るのです。


「親分、大變。十軒だなの徳次郎親分は、お縫殺しの下手人の疑ひで、三國屋の若旦那を縛りましたよ。一度自害といふことで誤魔化ごまかさうとしたのを、親分に出て來られて手柄をさらはれるのがしやくだつたんですね」
 ガラツ八が飛び込んで來たのはその翌る日でした。
「仕樣のない徳次郎親分だな。俺は荒立てずに、うやむやに濟まさうと思つて居たのに、――仕方がない、斯うなれば放つても置けまい。十軒店の親分にさう言つて、腰繩のまゝでも宜い、若旦那の身柄を借りて三國屋へ連れて行くが宜い。俺も後から行く、――十軒店の親分が言ふ事を聽かなかつたら平次がさう言つたと、笹野の旦那にお願ひするのだ」
 八五郎はこのむづかしい掛け合ひを言ひつけられて飛び出しましたが、矢つ張り一たん繩を打つた民彌を借り出すのはむづかしく、散々掛け合つた末、徳次郎と二人で繩付を見張り乍ら、三國屋へ行つたのはその日の夜でした。
「錢形の親分、何んか文句があるさうだね。笹野の旦那が仰しやるから、兎も角も繩付をつれて來たが――」
 待ち受けて居る平次の顏を見て、十軒店の徳次郎は厭味いやみを言つて居ります。
「さう言ふのも無理はないが、まア、俺の考へも一と通り聽いてくれ。それでも若旦那の民彌が怪しいといふなら、器用に手を引くから――」
 平次は穩かになだめて、主人の伊兵衞夫婦を始め、家中の者を一と間に集めました。
「――何から話さう。先づお縫さんが人に殺されたと決れば、下手人は若旦那かお萬さんの二人の他にはないことになる、――それがお縫のねらひだつたのだ。お縫は怨む筋があつて、その二人のうち一人か、二人を一緒に人殺しの罪におとさうとしたのだ」
「――」
 皆んな顏を見合せて默つてしまひました。わけても民彌とお萬はゾツと背筋を寒氣が走つた樣子です。
「お縫さんは自分の床の上で、膝も崩さずに晝の着物のまゝで死んで居る。これが第一の不審だ、――前からのどを刺されて、俯向になつて居るのが第二の不審だ。手に血が附いて居ないのが第三。そして膝にだけひどく血が附いて居るのが第四の不審だ」
「――」
「よく調べて見ると、あの後ろに手を縛つた扱帶しごきは、二つのわなになつて、端を引つ張ると固く締まるやうになつて居る、――お縫は後ろ手になつて、自分でこさへた扱帶の罠に手を突つ込み、足で強く端を引いたのだ。すると人が縛つたと少しも違はないやうに、いや、人が縛つたよりももつと強く自分で自分の兩手を後ろで縛れるわけだ」
「――」
「それからかね階下したの部屋から持つて來て置いた若旦那の短刀を、自分の膝と膝との間に突つ立て、切つ尖を自分ののどに當てたまゝ、力任せに首を前に下げた、――こいつは餘つ程たんのすわつた人間でなければ出來ない事だが、お縫は見事にそれをやり遂げた――恐ろしい女だ。いや女の執念は恐ろしいと言つた方が宜い。短刀を三寸も喉に突つ立てて、お縫はそのまゝ死んだ」
「――」
 それは實に前代未聞の恐ろしい死に方です。第二の戰慄が、ザワザワと一座の者の背を撫でて去りました。
「死んだだけではいけない、――お縫は早くからその用意をした。日頃眼をかけて居る小僧の榮吉に、一と月も前から自分は誰かに殺されさうだと話し、死んだら直ぐ八五郎のところへ知らせるやうに頼んで置いた」
「――」
 八五郎はポリポリと首筋をいて居ります。まさに完全な敗北です。
あつしも一度は若旦那を疑つて見たが、切つた扱帶しごきも其儘にしてあつたこと、短刀を隱さうともしなかつたこと、それからさやに氣を配らなかつたことから、こりや、若旦那ではないと思つた」
「――」
「――いよ/\お縫は自害に相違ないとわかつたが、念のために梁庵りやうあん先生に訊くと、お縫は可哀想に業病ごふびやうに取りつかれ――以前父親か何んかがそれで死んだので、自分もそれと察して近頃はひどく沈んでゐたといふことだ。それに若旦那も梁庵先生のところへ行つて、お縫の容態の唯事でないことを知り、次第にうとましい素振りを見せた。そればかりでなく、近頃はお萬としたしくなつて行くのを見て、お縫はそれが怨めしさに、死んで思ひ知らせようとしたに違ひあるまい」
 平次の説明は火の如く明かでした。
 お縫の苦衷や、痛々しい煩悶はんもん。それを振り捨てて、お萬に乘り換へた民彌の輕佻さが、平次の言葉でハツキリと判つて來るのです。
「お縫は自害した、――それは少しの疑ひもない。が、死んでまで怨まうとした若旦那とお萬に罪はないとは言へない。病氣で捨てられた若い女が、眼の前で以前の戀人が新しい女とイチヤイチヤするのを、ヂツと我慢して見て居られるだらうか、――俺は今更お縫の細工をあばき立てて、死んだ者に耻を掻かせ度くはなかつたが、さうかと言つて、若旦那が何んにも知らずに人殺しの罪を背負はされるのを見ては居られなかつた。一日でも半日でも縛られたら少しはりもするだらう。せめては一度ちぎつたお縫のために、精一杯の後世をとむらつてやるが宜からう」
 平次はそんな年寄り臭い事を言つて、呆然たる人々を見捨てて歸つて行くのでした。





底本:「錢形平次捕物全集第二十六卷 お長屋碁會」同光社
   1954(昭和29)年6月1日発行
初出:「オール讀物」文藝春秋新社
   1948(昭和23)年10月号
※題名「錢形平次捕物控」は、底本にはありませんが、一般に認識されている題名として、補いました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「四國屋」と「三國屋」の混在は、底本通りです。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:門田裕志
2016年11月23日作成
2017年3月4日修正
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