南方郵信

中村地平






 九州山脈に源を発したO川は、黄濁したてい日向ひゅうがの国の平原をうねり、くねり、末は太平洋に注いでいる。三十六里もある長い川であるが、最後に黒潮と激突しようとする一線には、海岸線に沿った砂浜が、両方から腕のように延びてきて、中に深淵の入江を抱いている。
 港というには面積がせまく、ハマオモトが固く根をはって点在している砂丘の垣ひとえ外には、小さな汽船ぐらいはたちまちひとみにするほどの荒浪あらなみたけり狂っているから、その入江には出入りする船舶の数もすくない。わずかに九州山脈にとれる木炭や、日向米などの物資を収集するための、上方かみがた通いの帆船が二三そう、帆をおろした柱だけの姿をやすんでいるのに過ぎない。その荒寥こうりょうとした眺めのなかの柱の周囲をかもめの群が、大きな翼で自分の体をたたきながら、低く、高く、群れとんでいる。
 鴎の群に迎えられて、牧の旦那だんなの家のち船である第一、第二の海竜丸は、この港湾らしい設備はなにひとつ有ってはいない素朴な港に、年に一度か二度、追手おいての風を帆いっぱいにはらませて、上方から帰ってくる。
 海竜丸の船ばたから伝馬船てんませんに乗り移って、川を一里十三丁さかのぼると、長さが二百十六けんもある、古風な木橋の下へ出る。この木橋の両端に、ひっそりした、二つの小さな部落がある。そのひとつは郡役所の所在する地方の名邑めいゆうであるが、他はしいくすの葉に覆われた寂しい村落である。牧の旦那の家は、その寂しい村の川岸にたっている。村でいちばん高い椎のと、その下の崩れかかった長い白壁のへいとが、旦那の家の目印になっている。
 その太い椎の樹の幹のかげから、毎日午後になると、あしの白い栗毛の馬にまたがった旦那の姿が決って現われる。風のない、晴れた暖かい日でさえあれば、旦那は馬に乗って村のなかをひとまわり散歩するのが日課になっているのである。
 馬はトヨという名前で呼ばれているが、立派な尻と、ばかに大きく見える耳、それに均勢のとれた姿とをもっている。ただ、残念なことに、幾らかとしをとり過ぎていて、全体に骨ばった感じがし、歩くのが大儀そうに見える。
 トヨの手綱たづなは、源吉じいさんに握られているが、爺さんの姿は、トヨに劣らないくらい、十分にけだるそうである。いったいに、この地方では人間ばかりでなく、畜生までがだるそうな延びたような姿をしているのが普通であるが、それはこの地方が暖かい上に湿気が多いせいであろう。
 旦那に聞えるか、聞えないかの低い声で鼻唄はなうたをうたいながら歩いている源吉爺さんを先達せんだつにして、トヨは毎日の道順にしたがい、のきの傾いた商家がたち並んでいる広い村道から、ほこりっぽい田圃径たんぼみちへと通り抜けてゆく。
 規則正しい、高いトヨのひづめの音が、静かな部落に響きわたると、往来にんやりたたずんでいたお主婦かみさんや、野良のら径をせわしげにしていた百姓たちは、驚いたように径をゆずって馬上をふり仰ぐ。
 そして、丁寧に挨拶あいさつする。
「へい、旦那さん、こんにちは。いい御散歩で」
 それまで旦那は、大抵は半ば眠ったように、呆んやりと夢見心地になっている。しかし、とたんにかっと大きなを見ひらく。そして、一丁も先から相手の姿を心にかけていたような、愛想のいい受け答えをするのが常である。
「へい、こんにちは。まめで結構じゃの」
 旦那は自分を非常にやり手な事業家であると、信じこんでいる。だから、他人をやり過したあと、そういう受け答えに抜け眼のない自分の性格に満足して、思わず会心の微笑をもらす。しかし、その微笑が消えるか、消えないうちに、再びうつらうつらと夢見心地に入ってしまうのである。
 そういう旦那も、暗い杉林をくぐり抜け、長さ二間ばかりの土橋の上まで来ると、はっとしたように眼をます。香ばしい黒土の匂いや、むんむんとする菜種なたねの花の匂いが、息もつまる位おしよせてくるからである。
 見わたすかぎり田圃に、黄色い花がかすみのように咲きそろっているのに気がつくと、トヨも突然気がたってきたように、たちどまる。そして、長いすねを踏み交わし、首をあげ、歯をむきだして高くいななくのが普通である。
 手綱が急に重たくなり、体が引き戻されると、源吉爺さんはいつもトヨが、昔草競馬で一等をとっていた頃のことを思いだす。その頃、トヨはまだ若く、華やかで、毛並は美しくつやがあり、体も弾力に富んでいた。そして、黄と赤とのだんだらの縞がある、メリヤスのシャツを着こんでいた、乗り手の源吉爺さんを手こずらしたものであった。
「あの頃は、わしもまだ血気の美青年よかにせで、村の娘ん子たちに騒がれたもんじゃったが……。この頃のように欲念が薄うなっては人間も早や死物しぶつ同然じゃ」
 爺さんは思わず大きな溜息ためいきをつく。
 菜の花畑で草をっている百姓たちは、蹄の音に気がつくと、花の間からむくむくと背のびして、馬上をふり仰ぐ。そして例の決りきった挨拶を旦那との間に取り交わす。しかし、蹄の音がまだ消えるか、消えないうちに、たちまち屈託のない、野放図のほうずな百姓たちの笑い声が、にぎやかに雲のようにきあがる。
「あのなあ、旦那の鼻はな……」
 と、誰かが必ず口火をきって言いだすからである。
 旦那の鼻といえば、実に異様である。まるで骨のない軟体動物のようにグニャリとしていて、しかも、先端はまっ黒い、立派なひげの中央部を全くおし隠してしまうほど、低く、長く垂れさがっている。
「それがな、美しか女子おなごの前に行くと、だしぬけに居ずまいを正すげな」
 誰かが愚鈍な声で鼻の噂をし始めると、辺りにいる百姓たちは、どうしても笑いがとまらなくなって困ってしまう。手拭てぬぐいをあねさんかぶりに、久留米がすりの着物のすそから赤いゆもじの端を垂らしている若いお主婦さんや、齢頃の娘たちは、笑いをおさえるのが苦しくて、畑の上をころげまわりたい気もちにさえなってしまう。
 一体に楽天的で、屈託のないこの地方の百姓たちは、根も葉もない好色な噂話を、いかにもほんとうらしく、開け放してしゃべるのが好きなのである。鼻の噂にしても、旦那の乗馬姿が消えたあとでは、誰かが必ずしゃべり始めるから、一年を通じてみると同じい話が百回も百五十回も繰り返されるわけである。しかし、誰もあきる者もいない。まるで初めてその話を耳にでもするような、興味と笑い声とで興奮してしまうのである。もっともこの地方の百姓たちで、もしそれがあきっぽい性格なら、百姓をやめて他国に移住するか、自殺でもするよりか仕方がない。この地方の百姓の生活といえば、丁度ちょうど川がながれ来たり、ながれ去るのに似ていて、全く単調で、変化というものがないのである。
 ある午後――
 牧の旦那は菜の花畑から騎首をめぐらして、夫婦めおと池のかたわらへと出た。
 池は椎のだちに包まれているが、樹の下径は薄暗く、いつも湿っていて、トヨの蹄の音は土のなかに吸いとられてしまう。辺りには物音ひとつしなかった。樹だちの幹の間から、源吉爺さんが、ふと池の面を眺めると、水の上には季節外れのかもが三羽降りていた。
 中の一羽は静かに羽根を畳み、悠々とながれるように泳いでいたが、他の二羽はなにかえさでも見つけたのであろう。思いきり首をのばし、ひどく大きく見える翼で、はげしく水面を叩きながら、滑走していた。
 源吉爺さんは、ふっとあることを思いついたが、歩きながら、旦那の方はふりむきもしないでつぶやいた。
「旦那。うちで家鴨あひるは飼いなさらんか。裏の川にはなして置けば、なんの面倒もらんですど」
 しかし、旦那はまるで爺さんの言葉は耳に入らないように、放心した顔つきをしていた。猟銃をたずさえていないことが、旦那はくやしくてしようがないのである。
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 源吉爺さんは家鴨を飼うことが思いきれない。あるひとつのことに思いつくと、爺さんは少時しばらくはそのことに熱中する癖なのである。
 ある日、爺さんは裏庭で鶏舎の掃除をしていた。鶏の糞をかき集めると、畑の肥料こやしになるのである。すると、そこへ紺絣の筒っぽに、板裏の草履ぞうりをはいた三太がやって来た。三太は牧の旦那のひとり息子である。糞を集めたむしろを土の上に置くと、爺さんは歯のない口で三太に笑いかけた。
「アコン。旦那に言って家鴨ば飼ってもらいなさらんか。家鴨の卵は鶏のとはくらべものにならんほど、大きかですど――」
 お坊ちゃん育ちで気のい旦那は、戸外へ一歩出ると、まるで気が弱く、人ざわりがいいくせに、家のなかでは別人のように、わがままで暴君である。
 こらえしょうというものが全くなく、怒りだすと手がつけられない。身のまわりにるものなら飯櫃めしびつでも、金魚鉢でも手あたり次第に投げつける。だから、よくせきの用事でもない限り、家人はめったに旦那に口をきこうとはしない。源吉爺さんが家鴨のことで、そそのかしているように、旦那のお気に入りである三太を、メッセンジャア・ボーイに利用したがるのである。
 実際、旦那の短気なのには、家人たちは全く閉口している。
 一度などはいつもは、旦那が自慢にして飼っているレグホンの雌が、書斎にあがりこんで畳の上に糞を垂れた、ことがあった。すると、朝から虫の居どころがわるかった旦那は忽ち爺さんを呼びつけた。
「いくら畜生じゃからといって、横着にもほどがある。ほかの鶏への見せしめじゃ。生きたまま、みんな、毛をひん抜いてしまえ」
 源吉爺さんは泣きだしそうな顔で、その無慈悲な命令を聞いていたが、口のなかでなにか意味のわからないことをつぶやいていると、旦那にまたどなりつけられてしまった。
「ぶつくさ言いくさって、わりゃわしの言い草が気に要らんのけ。わしの言葉に承服でけんのなら、わりゃとっととこの家ば出てゆけ」
 両手で尻を叩きながら、爺さんは慌てて裏庭へけだして行った。なにか不服なことがある時、両手で尻を叩くのは爺さんの癖なのである。庭じゅうを追いかけまわして、やっとのことで雌鶏めんどりをつかまえると、爺さんは荒縄でその両脚をくくった。そして、無花果いちじくの樹の根もとに連れて行った。爺さんは庭土の上に片ひざをつき、片手でその犯罪者の首根をおさえつけると、あとの手で一本、一本羽毛を抜いて行った。
 純白な羽毛を引き抜かれるたびに、鶏は身をもがき、首をのばしてけたたましい悲鳴をあげる。
 爺さんは眼頭にいっぱい涙をためて、つぶやいていた。
「毛を抜かれるわりもつらかろうが、抜くわしの身はもっとつらか。こんど産れてくる時は鶏どんになってくるではなかど……。なに鳥がよかろか。五彩で美々びびしかきじどんがよかろ。そいでん、狩人かりうどどんに見つかってしまえば、それまでの命じゃ」
 爺さんのごとは、まるで耳に入らないもののように、鶏は強く羽ばたきしては舞い逃げよう、とする。
「いっそ、目白めじろがよかろ。目白になってなたの丘の竹藪たけやぶで、日がないちにちき暮すことじゃ。そいでん、子供たちにつかまって、かごんなかに入れられてしまえば、また鶏どんと同じ運命さだめになる道理じゃ」
 爺さんは少時考えこんでいたが、悲しそうな声でつぶやいた。
「いっそ、こんげ苦しか浮き世には、二度と産れてこんことじゃ」
 すると、丁度その時、雌鶏は爺さんの油断を見すまして、荒縄から身をすりけ、土の上を走りだした。糊刷毛のりばけのような白い毛を羽根の先に残しているだけで、全くの丸裸になってしまっている。無花果の樹の根もとから、低く一直線に肥料小舎ごやまでとんで行くと、まるで気でも狂ったように、けたたましく叫びたてながら、空に舞いあがろうとした。しかし、すぐに体の重みに耐えかねたように、ひさしに体をぶっつけて、地上に落下してしまった。呆気あっけにとられて、爺さんは眺めていたが、雌鶏は幾度もとんでは落ち、とんでは落ちしていた。
 犯罪者がどうなったか、首尾を見るために、旦那は庭下駄をつっかけて、そこへやって来た。哀れな、痛々しい鶏の運動をひと眼見ると、旦那はそこにたちすくんでしまった。そして、自分のはじめの命令は棚にあげて、爺さんをどなりつけてしまった。
「わりゃ、なんちゅう非人情なあんぽんたんじゃ。ひとが右向けといえば右をむき左をむけといえば左を向き、ひとに言われて、していいことと、してわるいことの区別がある位のことが、わりゃその齢になってまだわからんのけ」
 旦那の家人に対する態度は、万事この調子である。
 だから何事でも思った通りを無遠慮に言ってのける勇気があるのは、三太一人である。三太は頭の鉢がひらいていて性質は快活であるが、ぎょろりとした大きな眼玉を、いつもずるそうにきょとつかせている。旦那が怒って
「押入れのなかに、入れてしまうぞ」
 と、どなりつけたりすると、自分で押入れのふすまをあけ、のこのこと先に入りこんでしまう。これではさすがの旦那も始末に困ってしまうのである。
 奥さんは隣り町の米問屋から器量好みで貰われてきているのであるが、旦那の機嫌をそこねないための心労で、今はすっかり老けた感じになっている。奥さんも、例えばワイシャツのボタンがひとつだけとれていたり、カラーが純白でなかったりすると、そのたびに旦那からっぺたを必ず一つ二つなぐられる。だから奥さんまでが、この可愛いメッセンジャア・ボーイの厄介やっかいになることがある。
「三太や。こんどお父さんに、しらん顔をして尋ねちみい。お父さんはなぜお母さんに乱暴ばするんですかって」
 昼間差しつかえがあって、乗馬できなかった日の夕刻は、旦那は晩飯をすましたのち、三太の手を引いて散歩することにしている。
 家の門を出ると、旦那はず椎の樹の下にたちどまって、深呼吸の方式で大きな息をつく。息を吸いこむ時、旦那はいかにも快さそうに、静かに眼をつむるが、眼をあけて見ると、遠く暮れ残りの明るい空を残して、椎のこずえのぐるりにだけ、既に早い闇が降りている。その闇を背景として、背景よりはいくらか黒い紫色で、蝙蝠こうもりの群がせわしくとびうている。
 それから二人は、長い木橋をわたって、隣り町へとゆく。町外れの暗いひのき林のなかに在る郷社へ参拝するためである。
 湿気を含んだ冷たい川風に、紺絣の着物の裾をあおられ、三太は旦那に小さい体をひきずられるようにして歩いている。大きな眼玉をぎょろつかせながら、三太は父親にせわしく尋ねる。
「お父さんはなぜ、お母さんに乱暴ばするのかな」
 だしぬけな質問に旦那はあわてる。しかし、すぐにそれが母親の指し金であることに気がついてまゆをしかめる。
「お父さんの気に要らんことをするからさ」
「どうして気に要らんのかな」
「そんなことは子供にはわかりはせん」
「どうして子供にはわからんのかな」
「大人になったらわかることじゃ」
「どうして子供にはわからんで、大人になったらわかるのかな」
 旦那は返事につまってしまう。
 それから、初めて気がついたような顔をして、川しもの方を眺めて見る。あかねの色に夕映ゆうばえて美しい遠い、港あたりの上空を、旦那はステッキで指ざしながら、三太の心を奪うような威勢のいい声で言う。
「おい三太、二三日すると、入江に海竜丸が入ってくるから、お前も連れてってやるぞ」
 船に行くと、船頭たちは海水で飯をたいて食べさしてくれる。それは塩っぽくて、お結びと同じようにうまいのである。肉のたまった、まるい旦那の高々指たかたかゆびを、三太は抜けるくらい引っぱる。
「入江に行ったら、帰りに松林で松露しょうろをとろうや、お父さん」
「松露でも、防風でもなんでもとってやるぞう」

 三太が家鴨をねだった時、旦那はうるさそうに返事をしなかった。しかし、夕方裏庭を見まわったついでに、源吉爺さんを思いきりどなりつけてしまった。
「子供にろくでもない入智恵いれぢえをするもんじゃなか。家鴨は坂下のお浜じゃ。あんな助平で騒々しか鳥はわしゃ好かん」
 晩飯をすました三太が、裏庭へ出てみると、爺さんは傍らに竹ぼうきを投げだしたまま、土蔵の石段にしょんぼり腰をかけていた。
 旦那にしかられた時は、いつでも爺さんは寄辺よるべのない、一人ぼっちの身が可哀想でたまらなくなり、いっそ裏の川へ身を投げてしまおうかとまで思いつめるのである。いったいに川というものは、不幸な魂にとっては身を投げるためにしか流れていない風に見えるのが普通であって、旦那の家の裏門から一丁も離れないかねふちには、毎年必ず一人か二人の投身者があるのである。
 土蔵の白壁を紅に染めている夕陽は、爺さんのしなびた顔にまぶしく照りつけていたが、爺さんはそれも気にならないような、張りあいのない顔をしていた。三太が呼びかけても返事もしない。
 三太は黙って、爺さんと並んで石段に腰をかけ、そのしなびた顔をのぞきこんだ。すると、爺さんはさもうるさそうに、そっぽをむいて、独り言のようにすねた声をだした。
「家鴨はお浜ですげな」
「お浜てなんかな」
「色気ちがいですがな」
「色気ちがいてなんかな」
 今までの寂寥せきりょうもけろりと忘れたように、爺さんは歯のない歯ぐきをまるだしの笑顔になっている。
「色気ちがいというのは、男と見れば誰にでも吸いつく女ですがな」
 お浜は齢の頃三十ばかりで、千両坂の坂下に独り住いをしている。五年ばかり前、お浜は女役者あがりの姉さんと、姉さんの子供であるてんかん持ちの少年と、三人連れでこの村に姿を現わした。初めお浜たちは豆腐屋の二階を間借りして住んでいたが、村の人たちは誰も彼女一家とつきあおうとはしなかった。「他郷者よそもの」で気心が知れないからであるが、その上、てんかん持ちの少年が、時どき、道路といわず、畑といわず、口から泡を吹いて、土の上にぶっ倒れるのも、薄気味がわるかったのである。
 しかし、姉さんは一年もたたないうちに、若い行商人と子供連れで駈け落ちしてしまった。売薬行商人というのは、黒い詰襟つめえりの服を着て、手風琴てふうきんを鳴らしながら、毎年春と秋との季節にこの村に現われる、村の娘たちの人気が良過ぎるので、
「いっぺん、痛い目に会わさんならん」
 と、青年団の幹事たちに、よりより協議されている男であった。
 春草の燃えたった千両坂の土堤にかがんで、ゼンマイやモチクサなどをつんでいる孤独なお浜の姿を見かけるようになったのは、それから間もないことである。その頃では豆腐屋の二階には、長友先生という中学を出て間のない若い代用教員が住んで、お浜は坂下の杉林のなかに、小さなトタンぶきの家を建てて住んでいた。
 坂は村から奥地へ行く国道の重要な地点に在る。だから赫土あかつちのゆるい坂径には、木炭や、肥料やを積んだ荷馬車や、小売商人やを乗せた自転車がわりに頻繁に通る。馬車の響や、自転車の姿に気がつくと、白い胸をはだけたお浜は、あばら屋のなかからしどけない姿でとびだしてくる。そして、誰彼の見さかいもなく、男たちに抱きつく、という噂である。
 しかし、お浜がほんとうに好きなのは、代用教員の長友先生である。お浜は大抵日に一度は小学校の校庭へゆく。そして、栴檀せんだんの樹の根に腰をおろし、窓の外から授業中の先生を眺めては、一人でにやにや笑っている。また、誰もいない放課後の教室へあがりこんで、黒板に「ナガトモセンセイ」という字をいくつも書き並べて、悦に入ることもある。
 お浜はいつもあかのたまった、裾が地べたを引きずるような、裾の長い紺絣の着物を着て、赤いメリンスの帯を小娘のようにだらしなくしめている。そして、時折り昔住んでいた豆腐屋の裏口にのっそりと姿を現わす。
「なんか、仕事があれば、してやろかい」
 そして、それは長友先生が二階にいる時刻に決まっている。

 いったい源吉爺さんは、性こりのない性分であるが、家鴨で旦那に叱られたことは、けろりと忘れたように、また、ある時三太をそそのかした。
「アコン、旦那に言って七面鳥を飼って貰いなさらんか。七面鳥の顔はいくえにも変って面白いですど」
 しかし、その時も爺さんは旦那にこっぴどく叱られてしまった。
「七面鳥は郡長の奥さんじゃ。あんな横柄おうへいな鳥はわしゃ好かん」
 郡長夫人は以前一度、旦那の家を訪ねてきた事があった。奥さんに愛国婦人会に入ることをすすめるためである。隣り町から夫人は人力車で乗りつけてきた。くるまの幌をずさせ夫人は紫陽花あじさい色に澄みわたった初夏の空に、パラソルをぬっとかざしていた。
 猪首いくびの夫人が、ふとった体を裾模様のある訪問着につつんで、気どりながら門のなかへ入ってきた時、牧の奥さんは丁度女中たちを指図して、土塀の内側に大根をしているところであった。その時奥さんは地味な紺の上っ張りを着こんでいたが、業々ぎょうぎょうしい夫人の姿をひと眼見るなり、大根は莚の上に放りはなして、奥へ逃げこんでしまった。そして、客間へあがりこんだ夫人には、夫に代って応待して貰った。
 郡長夫人は会の目的や功績について、ながながとしゃべったのちに、
「お宅のおかみさんにも是非……」
 ときりだしてきた。部厚な夫人の膝の上に、旦那は眠そうな視線をおとして、呆んやりと夫人のおしゃべりを聞いていたが、とたんに、顔いろを変えてしまった。このおかみさんという言葉に全く自尊心を傷つけられたのである。
 女というものは、一体に夫に対しては常に彼の社会的地位が低いことを痛罵つうばするくせに、一旦いったん、ひと前へ出ると、その同じい夫の地位を本能的にとてつもなく自慢するものである。郡長夫人は、官吏のしかも自分の夫以上の地位に在る妻君以外には、決して奥さんという言葉を使用しない方針であった。尤も彼女が住んでいる小さな町や、付近の村々には郡長以上の官職に在る役人は絶無であるから、彼女にとっては奥さんという言葉は全く死語同然であった。
 しかし、そういう事情を知るはずもない旦那は、このおかみさんという言葉を耳にした瞬間、郡長の年俸が自分の月収にも劣ることを、たちまち腹のなかで計算してしまった。そして、彼の愚鈍そうな顔を念頭に浮かべて、ひとりでむかむかしていた。
 しかし、例によって他人に対して人ざわりのいい旦那は、しばらく怒りは腹のなかに抑えつけ、その気にわない女客を、にこやかに玄関まで送りだした。そして、門の外に彼女の俥が消えもしないうちに、奥の間へ駈けこんで、奥さんに当りちらしたものであった。
「わりが漬物くさ恰好かっこうをしているばっかりに、わしゃいつでも人前で恥ばかかんならん」

 またある時、源吉爺さんは三太をそそのかした。
「アコン、旦那に言って山羊やぎというもんを飼って貰いなさらんか。山羊の乳は仰山ぎょうさんに滋養があるそうですど」
 しかし、こんどは旦那も爺さんを叱らなかった。
 山羊という家畜は、どこか西洋臭くて「ハイカラ」な感じがし、おまけにまだその地方には一匹も飼われていない。源吉爺さんも若い頃、トヨを出品したF市の家畜共進会でたった一度見かけたことがあるのに過ぎない。それが新しもの好きな、旦那の好奇心をゆすぶったのであった。
 実際、旦那は新しもの好きである。
 まだ旦那が若かった時分、その地方にはオートバイの姿は全く見られなかったが、いちはやく旦那はそれを上方から一台取りよせたものであった。そして、八反はったんの着物を着たまま、ゴミ眼鏡めがねを顔につけ、部落を乗りまわしたものであった。その姿は全く異様であったが、頓着とんじゃくするどころではなかった。着物の背を帆のようにふくらまし、白い花が煙ったように連なっている梨畑の間の埃っぽい田舎いなか径や、冷たい川風がほおに当る長い木橋の上やを得意になって乗りまわしたものであった。
 きっぽい旦那は、オートバイは半年もたつと全く見向きもしないようになった。しかし、ゴミ除け眼鏡だけは今尚いまなお残っていて、源吉爺さんが水中眼鏡に代用している。夏になると爺さんは、素はだかになって、この眼鏡をかけ、裏の川にもぐるのである。そして、ダグマえびを、忽ちのうちに十匹も二十匹も、棒杭ぼうぐいの間や、いかだの蔭でつかまえる。
 旦那はまた五六年前、箱になった、自動的な活動写真機を買いこんで、表の椎の樹の蔭にたてて置いた。
 穴のなかへ一銭銅貨を入れると、ひとりでにチャップリンの喜劇が覗けるしかけである。機械は今でも古さびた姿でぽつねんと佇んでいるが、奥地から隣り町へ買い物にでかける百姓や、野菜売りは大抵その前まで来ると、脚をとめる。そして、しばらく思案したのちに、ようやく決心がついたように、ふところからひものついた懐中をとりだす。それから銅銭をつまみ出して穴のなかへ入れる。
 丁度、感激の最高潮に達した時、呆気なく映画は終ってしまう。すると、百姓は名残なごり惜しそうに、箱をガタガタ両手でゆすぶってみたり、箱の裏側へなんということもなしにまわってみたりする。しかし、もう一銭投じない限りは、映画が再び映ることが絶望であることを知ると、しぶしぶあきらめなければならない。百姓たちは急に興奮した顔つきになって、辺りを見廻す。今見た映画の筋や、感想の一端やを、誰かに話すことを思いつくのである。しかし、辺りに誰も人がいないことに気がつくと、再び残念そうに大きな溜息をつく。そして、箱の前をたち去りながら、独り言をいうのである。
「ほんにが生きしたごとある!」
 椎の樹の幹や、葉っぱは夏になると道路の上に、大きな影を落して、天然のビーチパラソルをつくる。そして、パラソルの蔭には、梨売りや、大福餅屋のばあさん達が、小さな店を開くことがある。そういう時、婆さん達は頼まれもしない映画の呼び入れ役を、自分から買って出るのである。
「そこを通る若い衆。ちょっと寄って行きならんか。活動ば見て、梨ば食べれば後生楽ごしょうらくじゃがな。夏は冬じゃないがな。日が長いがな」
 旦那がこの村の文化に貢献したところを並べたてていては限りがないが、一度などは小学校に音楽隊を寄付したこともあった。
 これは比較的最近のことである。学校当局は旦那の厚意を非常に喜んで、先ず音楽隊を組織する条件として、特にはかまを持っている高等科の児童ばかり六名を選んだ。そして各々に大太鼓や、小太鼓や、喇叭らっぱなどを与えて、毎日放課後に練習させた。ただクラリオネットだけは、吹奏が難しい上に、幼い肺臓では呼吸器をそこなう恐れがある、という校医の意見を尊重して、長友先生に受けもたせた。長友先生は将来は東京に出て、音楽家になりたい野心なのである。
 音楽隊が部落を行進する時、村の人気は大変なものである。
 例えば郷社の大祭とか、郡の連合会などのために、全校の児童たちが隣り町へ出かける時には、必ずこの音楽隊が行列の先頭にたって歩く習慣である。そのあとから賑かな楽隊の音に脚なみを揃えて、六百十三名の児童が行進する。
 行列は先ず村外れの丘の上に在る校門を出発して、土橋をわたる。それから埃っぽい村道を通って、暗い杉林のなかをくぐりぬけ、商家町へとさしかかる。静かな町の空気を震わすように、賑かな楽隊の音が遠くから響いてくると、店々から人々が表へとび出す。そして、行列を迎えて、歓呼の声をあげる。
 そういう時、長友先生は、音楽隊の先頭にたって、血色のいい頬を精いっぱいにふくらましながら、クラリオネットを吹いて歩く。先生はそういう時、大抵、紫紺しこん色の渋い詰襟の洋服を着ているが、村の女たちの、先生に対する人気は大したものである。肉屋のおかみさんなどは、一度、思わず金切り声をあげてしまい、問題になったことがある。しかし、金切り声をあげる位はまだいい方で、例のお浜などは、一里でも二里でも、跣足はだしのまま、うれしそうに行列のあとからついて歩く。
 牧の旦那はそれに気がついて近頃では
「音楽隊を寄付したのはいいが、あれではかえって子供のためによくないじゃろ」
 と、心配しているのである。

 三太が子供部屋で積木細工をして遊んでいると、中庭から源吉爺さんの頓狂とんきょうな声が聞えてきた。
「アコン、アコン、山羊が着きましたどう」
 二三日前、入港した第二海竜丸が、上方から山羊を廻漕かいそうしてきたのである。
 第一、第二の海竜丸は旦那のち山や山畑からとれる木炭や米やを、年に一度か二度、上方に運び、帰りには肥料や呉服物など、その地方に無いものを廻漕してくる。それによって旦那は安いコストで木炭や米やを関西地方に売りさばくことができ、帰りには依託された商品の運賃をまるまるもうけることができる。大変合理的な事業なのである。
 第二海竜丸の木山船長は子煩悩こぼんのうなくせに子供がない。だからいつも三太のために気をきかして、空気銃や、玩具の自動車や、美しい絵本や、田舎には珍しいものを、必ず一つか二つ積んで帰ることを忘れない。第二海竜丸が入港した、と聞くだけでも、三太は嬉しくて夜も眠れない位になるのが普通である。
 裏庭へとびだしてみると、山羊の夫婦は小伝馬船から川岸へあげられ、丁度、裏門から入ってくるところであった。首に綱をつけた山羊を木山船長が、山羊を仲仕の「ヤの字」が引っぱっている。
 まっ黒な羅紗ラシャ地の詰襟服を着こんでいる木山船長は、三太を見ると、金モールの徽章きしょうがついている制帽を脱いで、微笑を浮べた。色の黒い船長の顔も、帽子に隠されていた額だけは白い。船長はたくましそうな、牡山羊をふり返った。
「どうです、アコン。すごいやつでしょう。船のなかで暴れて手こずりましたよ」
 旦那や、奥さんや、二人の女中や、数名の若い衆たちが、賑かに中庭から現われると、牡山羊は突然気がたったように、猛烈な勢いで、前脚を突ったて、尻ごみして船長を困らせる。
 山羊の夫婦は、裏庭の無花果いちじくの樹につながれた。
 額の汗を大きなタオルで拭いながら、船長が旦那に挨拶している間、三太は母親の腰にまつわりついて、初めて見る家畜を熱心に見つめていた。蹄は石炭のようにまっ黒で、角には美しい縞目があり、外套がいとうのように房々した白い毛でおおわれている。
「犬よりか、山羊の方が強かな、お母さん」
 騒々しい人声のなかで、牡山羊は、後脚をぽんとはねてさかだちしたり、首につながれている綱をいっぱいに張って、幹の周囲をぐるぐる駈けまわったりする。三太は土の上にかがんで、両手のこぶしをつきだし、体いっぱいに力んで号令する。
「もっと走れ、もっと天まではねい」
 牡山羊が暴れるたびに、無花果のひろいち葉が、背に散りかかる。牝山羊は青空に頭をむけ、鼻の穴をひろげて「ミイ、ミイ」と哀れな声をだしている。
 旦那はひどく満悦な調子で、辺りを見まわした。
「誰か、この元気者と腕角力ずもうをとっちみい」
 源吉爺さんが、早速、腰にさげていた汚い手拭いで頭に鉢まきし、浮き浮きと前にとびだした。そして、早速、両腕を牡山羊のもろの角にかけた。しかし、忽ち山羊の猛襲に耐え兼ね、たじたじとなり、よろめいて手をはなした。爺さんは地べたに尻もちをついて見せ、歯のない口をぱくぱくさせながら、みんなの顔をぐるりと見まわした。奥さんや、女中たちがむせる位笑った。
「ヤの字」が得意そうに三太の顔を覗きこむ。
「こ奴は大した力もちじゃから、こんげなヨボヨボが相手になれるもんですかな」
 若い衆が順次に敗退して、三人頭をかきかき引きさがったのち、旦那はこんどは三太を前におしだそう、とした。
「お前もやっちみい」
 しかし、三太は恥しがって、母親の腰にしがみつき、体をかくしてしまった。間もなくやっぱり三太は皆の前に出て、こわごわと山羊の体にさわってみる。背の毛に触れても、頭をでても、山羊はそ知らぬ顔をして、相手にならない。思いきって角をにぎったとたん、牝山羊は「ミイ」と啼いた。びっくりして思わず三太は手をはなす。
 肥料小舎の板壁をバックにして、間もなく三坪ほどのおりがつくられた。
 山羊の夫婦はそのなかで、とんぼ返りをうったり、金網に体をすりよせたり、鋭い歯で板や、針金をガリガリかじったりして、暮している。しかし、時折り牡山羊は檻から外へべり出て、菜園の霜柱をピョンピョン踏みつぶしながら、表の通りへ逃げ出してゆくことがある。そういう時、いつもは物音しない部落に、忽ち雲のような騒ぎが湧きたつ。退屈しきっている部落の老人や、若い者、特に子供たちが、手に手に棒ぎれや、竹竿をもって、面白半分に追いかけ廻すからである。
 牡山羊は大抵、狭い露地ろじの奥や、薄暗い瀬戸合いの突き当りで、壁に低く頭をぶっつけながら、慌てふためいて後脚ではねている姿を誰かに発見されるのが常である。そこへ源吉爺さんは息せき切って駈けつける。そして、家出した孫でも発見したように、ほっと安堵あんどする。しかし、すぐにむらむらと腹がたってきて、棒ぎれで尻に一撃を喰わす。
「なにが不足で、わりゃかかあを置き放して、逃げるんか」
 しかし、山羊は騒々しい弥次馬やじうまたちに、けろりとした顔をふりむける。そして、澄んだ細い眼でささやきかけるのである。
「なあに、腹ごなしに、ちょっと、ひと汗かいただけの話ですさ」
 豆腐のかす薩摩芋さつまいもつるとが、山羊夫妻の大好物である。豆腐の粕はまだ三太が床のなかにいる時分豆腐屋から毎朝一個ずつ規則的に届けてくれる。しかし、薩摩芋の蔓は時折り、誰か若い衆が野良へ行って、買い集めて来なければならない。
 豆腐の粕を配達するのは、お浜の任務である。お浜はひどく嬉しそうに、その任務を受けもっている。豆腐屋から少しばかりの賃金が貰えるからでもあるが、それよりか長友先生に会う機会が多くなるからである。
 湯気のたっている小さなザルを胸のなかに抱くようにして、お浜はまだ人通りの少い裏の川岸づたいに、旦那の家へ毎朝やってくる。紺絣の着物を引きずりながら、裏門からのっそりと入ってくると、お浜はザルを黙ってぬっと爺さんにさし出す。爺さんは大抵倉庫の扉を開けに廻っているところであるが、ザルを笑いながら受けとると、腰に錠前をじゃらじゃらさせながら、山羊の檻のなかへ入って行く。そして、ふちの欠けた摺鉢すりばちのなかへ粕をぶちまける。山羊は「ミイ、ミイ」啼きながら、夫と妻と競争で鉢の中へ頭をつっこむ。そして、忽ちまるで吸いこむように早く、たいらげてしまう。それから、もっとあとが欲しそうに、キョトンとした顔で檻の外を眺める。
 檻の外では金網に両手をかけて、お浜がにやにや笑いながら佇んでいるのである。爺さんは檻の外へ出ると、ザルをお浜にかえしながら、おかしなほどしんみりした声でいう。
「わりも、独り身で寂しかじゃろな。魂のなかけだもんでさえ、夫婦みょうと仕合しあわせに飯をたべているからな」
 相手にかこつけて、爺さんは自分の孤独を嘆きたいのである。檻によりかかったまま、お浜はにやにや笑っているばかりで、返事もしない。
「わりも早くよか婿むこどんを貰うことじゃ。ほんにわしがもう少し若かったらな」
 すると、お浜ははじめて答える。
「よけいな世話ばやかんでくれなはり。わしにはよか人がいるんじゃから」
 お浜ははげしい喰ってかかるような声をだすが、眼だけは善良そうに笑っている。お浜は妙に澄んだ、美しい眼をもっているのである。
 朝の散歩に出かける途中、旦那がひょっこり裏庭に姿を現わすこともある。旦那を非常にえらい人である、と思いこんでいるお浜は旦那の姿に気がつくと、まっ赤になってしまう。金網から離れ、お浜は急にそわそわする。そしてだらしなくはだけている襟もとをあわててかき合わせよう、とする。襟もとがあわさると、こんどは裾がたちまちはだけてしまうのだが、それでもお浜はいくらかほっとする。そして、例のにやにや笑いを浮かべながら、土の上と旦那の顔とを見較べるように眺めている。
 そういう時、旦那はいつも上機嫌にからかうのが常である。
「お浜、おすにばかり親切するのでなかど。めすにもオカラをやってくれよ」
 お浜は時折り、ワラビやモチクサなどの季節の野の草を、ひとにぎり持ってきて、源吉爺さんに黙ってぬっとさしだすこともある。爺さんはすると、歯のない歯ぐきをまるだしにして喜びながら、両手で押しいただくような真似をして、それを受けとる。孤独な爺さんは、この少しばかり気のおかしい、善良な若い女とむかい合っていると、妙に心がおさまるのである。

 晩春の午後、裏庭では旦那が気ぜわしそうに爺さんや、若い衆たちを指図して、小さなほこらを荷馬車に積ませていた。
 家から一里ばかり離れた、村外れの蜜柑みかん丘には旦那の家の氏神様が祭ってある。高さ一間に足りない小さな祠であるが、その前に佇むと、太平洋の海鳴りの音がかすかに聞えてくる。黄色い夏蜜柑の花が、祠の屋根に散りかかる季節になると、一年に一度の氏神様のお祭りがある。その日になると、旦那の家では赤飯の握り飯をつくり、祠にはこんで、集まって来た子供たちに配るしきたりである。そのお祭り日が近づいてきたが、祠が古くなって朽ちているので、新しいのととりかえなければならない。木肌の匂いがぷんぷんする新しい祠が、これから蜜柑畑に運ばれるところであった。
 荷馬車の頭にはトヨがつながれている。昔は共進会で、競馬うまとして褒状ほうじょうを貰ったこともある彼女も、今では時折りではあるが、荷馬車が必要になると、こうして駄馬として使用されることもあるのである。
 蜜柑畑には、源吉爺さんと一緒に三太も行くことになった。座布団の敷いてある窮屈な祠のなかに、爺さんは三太を抱きあげてすわらしてくれた。
 トヨの手綱は例によって爺さんがにぎり、賑かな声に見送られて、三太の馬車は門を出た。
 馬車が町なみを外れて、田圃径にさしかかると、とたんに暖かい風が、むっとするほど菜種の匂いや、黒土の香りやを三太の顔に吹きつけてくる。
「ひとつ、速いところをやらかしますかな」
 それまでのん気そうに鼻唄をうたいながら歩いていた爺さんは、ひらりと身軽そうに御者台にとび乗った。
 爺さんはトヨの尻に激しいひとむちをくれる。するとさなきだに菜の花の匂いに興奮していたトヨは、まるで忘れていた若い血が急にたぎりあがってきたかのように、忽ちギャロップの姿勢に移る。小石の多い凸凹でこぼこ径に、馬車は騒々しい音をたて、物凄く震動しながら、いっさんに駈けてゆく。黄色い花の穂が三太の眼から後ろへ、後ろへと逃げてゆく。しかし、花の穂は無限に続いていて、遠く遠く霞んだように白雲のなかへ消えている。
 菜の花畑では百姓たちが長閑のどかそうに野良仕事をしているが、賑やかな車輪の響を耳にすると、仕事をやめて、いちように背のびする。そして、祠のなかに小さな姿で端坐たんざしている三太に気がつくと、明るい陽の光りのなかに、まぶしそうに眼を細めて、笑うのである。
「あれ、ほんに小さか生き神さまじゃなあ」
 背やそでに黄色い花びらをつけているお主婦かみさんや、娘たちは花の穂のなかに小腰をかがめ、めいめい両手を合わして、その生き神さまを拝んでくれる。
 キラキラする白雲の光りや、強い花の匂いや、はげしい馬車の弾動や、百姓たちの冗談やに、三太は酔っ払ったように上気している。
 御者台に三太は話しかける。
「生き神さまてなんかな」
 漸く爺さんは手綱をゆるめて、トヨを並足にさせる。トヨは体全体が黒ずんで見える位ぐっしょり汗をかき、苦しそうに大きな息を吐いている。
「人間は死んだら誰でも神さまになりますがな」
 爺さんは背で三太に答える。
「アコンは生きているうちに、神さまの家に住みなはったから、即ち生き神さまですがな」
「神さまになったらどうなるかな」
「神さまになったら、独りぼっちでもちっとも寂しゅうなかですがな。いつでも焼酒しょうちゅうばいっぱい引っかけた時とんなじように、楽しか気もちでれますがな。人間は悲しかことや、つらかことばかりじゃが、神さまになれば楽しかことばかりですがな」
 爺さんは懐から汚れた手拭いをだして顔をぬぐった。
「源吉爺さんも、死んだらやっぱり神さまになるのかな」
 爺さんは嬉しそうに、歯ぐきをまるだしにして、御者台からふり返った。
「なるとも。なるとも。アコン。早う神さまになりたい、と、思う時がありますがな」
 畑のところどころには空地があって、そこには薩摩芋の蔓が山のように積まれている。祠のなかから三太はそれを眺め、眺め、体をゆすぶって力んだ。
「トヨよ、走れ、走れ」
 家では山羊が咽喉のどをならして、待ちあぐんでいる筈である。
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 旦那の家の裏門のすぐ傍らには、胴まわりがふた抱えもあるような、太い、高い、むくの樹がそびえている。
 初夏の頃になって、枝々いっぱいに青い、かたい、小さな葉が繁ると、この樹には無数の毛虫がむ。丁度、親指ぐらいもある、大きい、青い、柔かな体をもった虫である。その季節になると、源吉爺さんは仕事の合間をみて、長い物ほし竿をとりだし、二本つないで長くし、空をあおいで梢をたたき、毛虫の群をはたき落す。そして椋の樹の根もとにかがみ込み、石の上で虫の体をたたきつぶすと、中から器用な手つきでてぐす糸をひき抜く。
 そのてぐす糸でつくった釣竿をかついで、朝はやくか、夕方、仕事を終ってから、爺さんは裏の川岸へでかける。楽しみの少ない爺さんにとっては、釣が一番の楽しみなのである。
 夕方、爺さんが釣にでかける時は、大抵三太がついてゆく。しかし、朝でかける時は、いつもまだ布団のなかでねむっている。そして、豆腐の粕を届けにきたお浜がついてゆくこともある。
 川岸にはまだ眠りから醒めないような、伝馬船が一二艘、柳の樹の蔭につないであるばかりで、まだ人影もまばらである。爺さんが伝馬船に乗り移って、静かな流れのなかに釣糸を垂れると、お浜は柳の樹の蔭にかがみこむ。そういう時、爺さんは大抵熱心に川面を覗きこんでいるからいいが、しふっとお浜の方をふりかえったら、流石さすがに面をそむけるにちがいない。お浜は両股を半びらきにして、白い太ももの奥まで覗かせていることがあるからである。しかし、お浜はまるでそういうことには無関心に、じっと釣糸を見つめている。なにか物を見つめている時、お浜の眼はけだものの眼のように光を帯びている。
 爺さんはお浜に無駄口をたたく。
「わりゃ、どこでうまれたんけ」
 するとお浜はにやにや笑いだして、無愛想に答える。
「わしゃ知らん」
ととさんはどこに居りゃるのけ」
「知らん」
「姉さんはどこに行きやったのけ」
「知らん」
 爺さんの質問にお浜はほとんど満足な答をすることがない。しかし、爺さんはこうしてお浜と無駄口をたたいているだけで、まるでほんとうの愛娘まなむすめとむつみあっているように、心が楽しいのである。一丁ばかり下流に高くそそりたっている木橋には、漸く人通りが繁くなり、野菜や木炭やを町へはこぶ駄馬の蹄の音が、橋梁からカッカッとひびきわたってくる。
 糸にかかるのは大抵ダグマえびである。ダグマ蝦というのは、親指ぐらいもある大きな体をしていて、強く逞しいはさみをもっている。
 携えてきたバケツのなかに、ダグマ蝦を十匹も釣りあげると、爺さんはバケツの水をこぼす。そして、伝馬船から降りて、お浜の眼の前にさしだす。
ろ。帰ちびい」
 お浜は嬉しそうににやにやしながら、恥しさを知らないもののように、着物の裾をくるりとめくって、爺さんの眼の前にひろげる。その即席の風呂敷のなかに、爺さんはバケツの蝦を全部あけてやる。下腹のところにまるく蝦をつつみこむと、お浜は垢のたまった脛をちらつかせながら、前こごみに泳ぐような恰好で、息をはずませながら、自分の家へ帰ってゆく。
 真夏になると、村いっぱいに植わっている椎や樟の葉がのびて、部落のところどころに涼しい、天然のテントを張ってくれる。しかし、樹の隙間すきまを洩れて照りつける南国の陽は、猛烈に暑くて、到底、我慢ができない位である。
 そういうある日、隣り町の登記所へ行った帰りに、旦那が木橋の上を歩いていると向うから馬力の六やんが荷馬車をひいてやってくるのに出遭であった。六やんは旦那の家へも出入りしていて、時折り木炭を隣村に運ばして貰っているのである。
 六やんは旦那に近づいてくると、ひげだらけの顔いっぱいで笑いながら、古い、破れかかった麦稈むぎわら帽子を脱いで、挨拶した。そして、なにか重大な話でもあるらしく、馬の手綱を欄干らんかんにしばりつけた。
「旦那さん……」
 六やんは汗の匂いがぷんぷんするシャツ一枚の体を無遠慮に近づけてくると、まるで耳うちでもするような恰好でひっそりと切りだしてきた。
「お浜にお手がつきましたげなな……」
 まぶしい川面の照り返しのなかに、いかだがゆるやかに流れてくだるのを旦那は呆んやり眺めおろしていたが、びっくりしたように六やんの顔をふり返った。
「そりゃ、なんのことじゃ」
 愚鈍そうに相変らず六やんは、にやにや笑っている。
「お浜がはらんどりますが……。旦那さんがええことなさった、という噂で」
 言葉の意味がわかると、旦那は顔いろを変えた。怒りのために体が震えるくらいであった。旦那は「紳士」としてのたしなみを忘れて、六やんに暴力をふるいかねない剣幕を示し、両の拳をしっかり握りしめた。
 しかし、旦那はくちびるをけいれんさしたまま、なんにも言わなかった。そして、呆気にとられている六やんを残したまま、すたすた自分の家へむかって歩きだした。
 家へ帰るなり、旦那は外出着のの羽織を脱ぎもしないで、源吉爺さんを呼びつけた。
「お浜が妊娠している、というのはほんのこっけ」
 お浜という言葉を聞くと、爺さんは顔いろを変えた。それから、齢甲斐もなく、臆病そうに震えはじめた。
「明日からお浜を家によせつけることはならんど」
 爺さんはうなずくと、例の不満の時の仕草で、両手で尻を叩きながら、広庭へ戻りかけていたが、又、旦那に呼びとめられた。
「馬力の六も出入りさしとめじゃ」
 事件の少いこの村にとっては、お浜が妊娠している、という噂は大きなニュースであったが、このニュースに最も恐慌をきたしたのは、馬力の六やんをはじめ平素、遊び手として定評のある人たちであった。こういう人たちは平素は好色なゴシップに対して、わりに寛大な態度をみせるのが普通であるが、こんどだけは特別であった。相手が相手だけに、さすがにこういう人たちでも、痛くもない腹をさぐられるようなことになっては、心外である、と考えたのであった。
 こういう人達は自分に疑いの眼がむけられる前に、いち早くそれとなく他人の名前を暗示して置いて、自分だけでも噂の圏内から逃げだそうと務めた。だから根も葉もない噂の対象に選ばれたのは、牧の旦那の異様な鼻ばかりではなかった。村では眼ぼしい人、例えば村社の神主、収入役、それから長友先生などすべて、この不名誉な醜聞しゅうぶんの被疑者として、被害を受けねばならなかった。
 そして、そういう騒々しい噂のなかを、ひとりお浜だけが、下腹のつき出た、裾のあわない、はっきりとみだらな印象を与える異様な姿で、屈託もなく歩きまわっている。
 南国の陽が漸く衰えをみせたころ、長友先生が突然代用教員をやめて、出京することになった。若い清純な先生の気もちには、村のこういう淫らな雰囲気は耐えられないところであったが、これを機会に素志そしである音楽修業に出たい、と思いたったのであった。
 村をはなれて、先生が出発する時には、小学校の児童たちは、列をつくって隣り町まで見送って行った。この時も例の音楽隊は、行列の先頭にたって歩いたが、先生は旅行用のバスケットは子供の一人に預け、自分はいつものようにクラリオネットを吹奏していた。しかし、先生はよほど悲しかったのであろう。吹奏はこれまで聞いたこともないくらい出来がわるかった。
 先生の出京をお浜に知らせないように、豆腐屋の婆さんなどは十分気を配ったものであるが、しかし、どこで聞いたのか、行列が木橋近くまで来た時、結局、お浜は姿を現わしてしまった。そして、遠足などの時のように、垢のたまった脛をちらつかせながら、跣足で行列について歩いた。先生がいよいよ汽車に乗ってしまうと、高等科の女生徒などは、声をあげて泣きだしたが、お浜だけは悲しそうな顔もせず、相変らずにやにや笑いながら、木柵にもたれて、先生を眺めていた。見ている人たちに、それは哀れな、奇妙な感じをあたえた。

 まだ日の暮れない秋の夕であった。馬力の六やんは隣り村からの帰り径、千両坂のてっぺんで休んでいた。
 坂のてっぺんには一本松が在って、松の樹の下には、石の地蔵さまが祭ってある。六やんはふりのいい、太い松の枝に馬をつなぎ、自分は地蔵さまの前にかがんで、煙草たばこをふかしていた。松の梢ではからすの群が無気味な声で啼きあい、賑かな羽音を時折り、六やんの頭上に落下させている。松の枯れ葉が顔にちりかかる。
 間もなく六やんは煙管キセルを腰の煙草入れにしまいこみ、背のびしながらたちあがった。そして馬の手綱をほどいたあと、なに気なく坂の下を眺めた。六やんはびっくりした。
 お浜の住み家であるトタンぶきのあばら屋から、辺りをうかがうようにして、一人の男が戸外のやみのなかに出てきたのである。男はうすら寒げな仕事着のはんてんから、はっきり二本の脛をだしている。男は間もなく坂径をのぼりはじめ、六やんの方に近づいてきたが、袖のなかに両手をつっこみ、すこし猫背で歩いている姿は、まちがいもなく源吉爺さんであった。
 この一本松の地蔵さまについては、伝説が残っている。
 地蔵さまは昔、O川の上流からこの地方に流れてこられた。流れに浮かんでいる地蔵さまの発見者は同時に二人あった。一人はむかい岸にすんでいる商人で、一人はこの村の百姓の娘であった。二人の間には忽ち拾得権の争いが起きた。両方の岸から、商人と娘とは口汚くののしりあっていたが、そのうち地蔵さまはむっくりと川面に起きあがられた。そして、水面をノコノコと娘の方に歩いてこられた。
 人情を解されることが深い、というので、この地蔵さまには今もって参詣者がたえない。いつも派手な色の、ま新しいよだれかけを、必ず二三枚は胸にあてていられる。村のはすっぱな娘たちが、前かけや、羽織裏などのともぎれで作っては、人知れずおそなえするからである。

 冬近い午後。
 三太は久留米絣の八ッ口の間から両手をつっこみ、鉢の開いた頭を前へつんのめりそうにして、裏庭へでてみた。
 裏庭には若い衆は誰も居らず、源吉爺さんが独り椋の樹の根もとにかがみこんでいた。丁度、てぐす糸を毛虫からひきぬいている時の恰好である。しかし、もちろん今は青葉の季節ではない。黄ばんだ枯れ葉が、風ふくたびに空たかくまいあがっては、爺さんのしなびた顔に散りかかっている。
「爺さん。源吉爺さん」
 三太は呼びかけた。
 しかし、爺さんはうつむいたまま、返事もしない。眠りけたのにちがいない、と思って三太は爺さんの肩に手をかけてゆすぶった。すると、爺さんは上体をがっくりと土の上にうつぶせになった。死んでいるのであった!
 びっくりして三太は少時しばらくは声もなく、爺さんを見つめていたが、間もなく大きな声で泣きだした。三太の泣き声もとどかないような、高い高い紫陽花いろの空には、椋の梢がさむ風にゆすぶられながら、聳えている。そして、その梢を中心として、一羽のとびが、翼を動かさないで、大きな円弧を描きながら、ゆるやかにとんでいる。
 その鳶の高くはるかな視界のなかには、三太がぽつねんと佇んでいる椎の樹の多い部落や、対岸の静かな町や、それらを包んでいる広い広い田畑や、そのなかを貫通しているO川や、遠い山なみやが一望のなかに眺めわたされる。そして、その眺めは太古からまるで変らなかったかのように、静かで、悠久である。その悠久な自然のなかを、既に神さまになった源吉爺さんの魂は、恐らく今はなんの屈託もなく、風にふかれてさまよい歩いているにちがいない。

 早い南国の菜の花が、部落の畑いっぱいに咲きそろった頃、お浜は女の子を産んだ。色のわるい、平べったい顔をした、どこか化物ばけものじみて見える赤ん坊であった。その赤ん坊をお浜ははだけた白い胸のなかにだいて、相変らず、着物の裾をひきずりにやにや笑いながら、跣足で村のなかを歩きまわっていた。赤ん坊の父親は死んだ源吉爺さんであった。しかし村の百姓達は、一本松の地蔵さまかもしれない、といわくありげな含み笑いをしながら噂しあった。





底本:「百年文庫91 朴」ポプラ社
   2011(平成23)年9月12日第1刷発行
底本の親本:「中村地平全集 第一巻」皆美社
   1971(昭和46)年2月7日
初出:「文學界 第五巻第四号」文藝春秋社
   1938(昭和13)年4月1日
入力:日根敏晶
校正:良本典代
2017年1月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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