九州山脈に源を発したO川は、黄濁した
港というには面積がせまく、ハマオモトが固く根をはって点在している砂丘の垣ひとえ外には、小さな汽船ぐらいは
鴎の群に迎えられて、牧の
海竜丸の船ばたから
その太い椎の樹の幹の
馬はトヨという名前で呼ばれているが、立派な尻と、ばかに大きく見える耳、それに均勢のとれた姿とをもっている。ただ、残念なことに、幾らか
トヨの
旦那に聞えるか、聞えないかの低い声で
規則正しい、高いトヨの
そして、丁寧に
「へい、旦那さん、こんにちは。いい御散歩で」
それまで旦那は、大抵は半ば眠ったように、呆んやりと夢見心地になっている。しかし、とたんにかっと大きな
「へい、こんにちは。まめで結構じゃの」
旦那は自分を非常にやり手な事業家であると、信じこんでいる。だから、他人をやり過したあと、そういう受け答えに抜け眼のない自分の性格に満足して、思わず会心の微笑を
そういう旦那も、暗い杉林をくぐり抜け、長さ二間ばかりの土橋の上まで来ると、はっとしたように眼を
見わたすかぎり田圃に、黄色い花が
手綱が急に重たくなり、体が引き戻されると、源吉爺さんはいつもトヨが、昔草競馬で一等をとっていた頃のことを思いだす。その頃、トヨはまだ若く、華やかで、毛並は美しく
「あの頃は、わしもまだ血気の
爺さんは思わず大きな
菜の花畑で草を
「あのなあ、旦那の鼻はな……」
と、誰かが必ず口火をきって言いだすからである。
旦那の鼻といえば、実に異様である。まるで骨のない軟体動物のようにグニャリとしていて、しかも、先端はまっ黒い、立派な
「それがな、美しか
誰かが愚鈍な声で鼻の噂をし始めると、辺りにいる百姓たちは、どうしても笑いがとまらなくなって困ってしまう。
一体に楽天的で、屈託のないこの地方の百姓たちは、根も葉もない好色な噂話を、いかにもほんとうらしく、開け放してしゃべるのが好きなのである。鼻の噂にしても、旦那の乗馬姿が消えたあとでは、誰かが必ずしゃべり始めるから、一年を通じてみると同じい話が百回も百五十回も繰り返されるわけである。しかし、誰もあきる者もいない。まるで初めてその話を耳にでもするような、興味と笑い声とで興奮してしまうのである。
ある午後――
牧の旦那は菜の花畑から騎首をめぐらして、
池は椎の
中の一羽は静かに羽根を畳み、悠々とながれるように泳いでいたが、他の二羽はなにか
源吉爺さんは、ふっとあることを思いついたが、歩きながら、旦那の方はふりむきもしないでつぶやいた。
「旦那。うちで
しかし、旦那はまるで爺さんの言葉は耳に入らないように、放心した顔つきをしていた。猟銃を
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源吉爺さんは家鴨を飼うことが思いきれない。あるひとつのことに思いつくと、爺さんは
ある日、爺さんは裏庭で鶏舎の掃除をしていた。鶏の糞をかき集めると、畑の
「アコン。旦那に言って家鴨ば飼って
お坊ちゃん育ちで気の
こらえ
実際、旦那の短気なのには、家人たちは全く閉口している。
一度などはいつもは、旦那が自慢にして飼っているレグホンの雌が、書斎にあがりこんで畳の上に糞を垂れた、ことがあった。すると、朝から虫の居どころがわるかった旦那は忽ち爺さんを呼びつけた。
「いくら畜生じゃからといって、横着にもほどがある。ほかの鶏への見せしめじゃ。生きたまま、みんな、毛をひん抜いてしまえ」
源吉爺さんは泣きだしそうな顔で、その無慈悲な命令を聞いていたが、口のなかでなにか意味のわからないことをつぶやいていると、旦那に
「ぶつくさ言いくさって、わりゃわしの言い草が気に要らんのけ。わしの言葉に承服でけんのなら、わりゃとっととこの家ば出てゆけ」
両手で尻を叩きながら、爺さんは慌てて裏庭へ
純白な羽毛を引き抜かれるたびに、鶏は身をもがき、首をのばしてけたたましい悲鳴をあげる。
爺さんは眼頭にいっぱい涙をためて、つぶやいていた。
「毛を抜かれるわりもつらかろうが、抜くわしの身はもっとつらか。こんど産れてくる時は鶏どんになってくるではなかど……。なに鳥がよかろか。五彩で
爺さんの
「いっそ、
爺さんは少時考えこんでいたが、悲しそうな声でつぶやいた。
「いっそ、こんげ苦しか浮き世には、二度と産れてこんことじゃ」
すると、丁度その時、雌鶏は爺さんの油断を見すまして、荒縄から身をすり
犯罪者がどうなったか、首尾を見るために、旦那は庭下駄をつっかけて、そこへやって来た。哀れな、痛々しい鶏の運動をひと眼見ると、旦那はそこにたちすくんでしまった。そして、自分のはじめの命令は棚にあげて、爺さんをどなりつけてしまった。
「わりゃ、なんちゅう非人情なあんぽんたんじゃ。ひとが右向けといえば右をむき左をむけといえば左を向き、ひとに言われて、していいことと、してわるいことの区別がある位のことが、わりゃその齢になってまだわからんのけ」
旦那の家人に対する態度は、万事この調子である。
だから何事でも思った通りを無遠慮に言ってのける勇気があるのは、三太一人である。三太は頭の鉢がひらいていて性質は快活であるが、ぎょろりとした大きな眼玉を、いつもずるそうにきょとつかせている。旦那が怒って
「押入れのなかに、入れてしまうぞ」
と、どなりつけたりすると、自分で押入れの
奥さんは隣り町の米問屋から器量好みで貰われてきているのであるが、旦那の機嫌をそこねないための心労で、今はすっかり老けた感じになっている。奥さんも、例えばワイシャツのボタンがひとつだけとれていたり、カラーが純白でなかったりすると、そのたびに旦那から
「三太や。こんどお父さんに、しらん顔をして尋ねちみい。お父さんはなぜお母さんに乱暴ばするんですかって」
昼間差し
家の門を出ると、旦那は
それから二人は、長い木橋をわたって、隣り町へとゆく。町外れの暗い
湿気を含んだ冷たい川風に、紺絣の着物の裾をあおられ、三太は旦那に小さい体をひきずられるようにして歩いている。大きな眼玉をぎょろつかせながら、三太は父親にせわしく尋ねる。
「お父さんはなぜ、お母さんに乱暴ばするのかな」
だしぬけな質問に旦那はあわてる。しかし、すぐにそれが母親の指し金であることに気がついて
「お父さんの気に要らんことをするからさ」
「どうして気に要らんのかな」
「そんなことは子供にはわかりはせん」
「どうして子供にはわからんのかな」
「大人になったらわかることじゃ」
「どうして子供にはわからんで、大人になったらわかるのかな」
旦那は返事につまってしまう。
それから、初めて気がついたような顔をして、川しもの方を眺めて見る。
「おい三太、二三日すると、入江に海竜丸が入ってくるから、お前も連れてってやるぞ」
船に行くと、船頭たちは海水で飯をたいて食べさしてくれる。それは塩っぽくて、お結びと同じようにうまいのである。肉のたまった、まるい旦那の
「入江に行ったら、帰りに松林で
「松露でも、防風でもなんでもとってやるぞう」
三太が家鴨をねだった時、旦那はうるさそうに返事をしなかった。しかし、夕方裏庭を見まわったついでに、源吉爺さんを思いきりどなりつけてしまった。
「子供にろくでもない
晩飯をすました三太が、裏庭へ出てみると、爺さんは傍らに竹ぼうきを投げだしたまま、土蔵の石段にしょんぼり腰をかけていた。
旦那に
土蔵の白壁を紅に染めている夕陽は、爺さんのしなびた顔にまぶしく照りつけていたが、爺さんはそれも気にならないような、張りあいのない顔をしていた。三太が呼びかけても返事もしない。
三太は黙って、爺さんと並んで石段に腰をかけ、そのしなびた顔を
「家鴨はお浜ですげな」
「お浜てなんかな」
「色気ちがいですがな」
「色気ちがいてなんかな」
今までの
「色気ちがいというのは、男と見れば誰にでも吸いつく女ですがな」
お浜は齢の頃三十ばかりで、千両坂の坂下に独り住いをしている。五年ばかり前、お浜は女役者あがりの姉さんと、姉さんの子供であるてんかん持ちの少年と、三人連れでこの村に姿を現わした。初めお浜たちは豆腐屋の二階を間借りして住んでいたが、村の人たちは誰も彼女一家とつきあおうとはしなかった。「
しかし、姉さんは一年もたたないうちに、若い行商人と子供連れで駈け落ちしてしまった。売薬行商人というのは、黒い
「いっぺん、痛い目に会わさんならん」
と、青年団の幹事たちに、よりより協議されている男であった。
春草の燃えたった千両坂の土堤にかがんで、ゼンマイやモチクサなどをつんでいる孤独なお浜の姿を見かけるようになったのは、それから間もないことである。その頃では豆腐屋の二階には、長友先生という中学を出て間のない若い代用教員が住んで、お浜は坂下の杉林のなかに、小さなトタンぶきの家を建てて住んでいた。
坂は村から奥地へ行く国道の重要な地点に在る。だから
しかし、お浜がほんとうに好きなのは、代用教員の長友先生である。お浜は大抵日に一度は小学校の校庭へゆく。そして、
お浜はいつも
「なんか、仕事があれば、してやろかい」
そして、それは長友先生が二階にいる時刻に決まっている。
いったい源吉爺さんは、性こりのない性分であるが、家鴨で旦那に叱られたことは、けろりと忘れたように、また、ある時三太をそそのかした。
「アコン、旦那に言って七面鳥を飼って貰いなさらんか。七面鳥の顔はいくえにも変って面白いですど」
しかし、その時も爺さんは旦那にこっぴどく叱られてしまった。
「七面鳥は郡長の奥さんじゃ。あんな
郡長夫人は以前一度、旦那の家を訪ねてきた事があった。奥さんに愛国婦人会に入ることをすすめるためである。隣り町から夫人は人力車で乗りつけてきた。
郡長夫人は会の目的や功績について、ながながとしゃべったのちに、
「お宅のおかみさんにも是非……」
ときりだしてきた。部厚な夫人の膝の上に、旦那は眠そうな視線をおとして、呆んやりと夫人のおしゃべりを聞いていたが、とたんに、顔いろを変えてしまった。このおかみさんという言葉に全く自尊心を傷つけられたのである。
女というものは、一体に夫に対しては常に彼の社会的地位が低いことを
しかし、そういう事情を知る
しかし、例によって他人に対して人ざわりのいい旦那は、
「わりが漬物
またある時、源吉爺さんは三太をそそのかした。
「アコン、旦那に言って
しかし、こんどは旦那も爺さんを叱らなかった。
山羊という家畜は、どこか西洋臭くて「ハイカラ」な感じがし、おまけにまだその地方には一匹も飼われていない。源吉爺さんも若い頃、トヨを出品したF市の家畜共進会でたった一度見かけたことがあるのに過ぎない。それが新しもの好きな、旦那の好奇心をゆすぶったのであった。
実際、旦那は新しもの好きである。
まだ旦那が若かった時分、その地方にはオートバイの姿は全く見られなかったが、いちはやく旦那はそれを上方から一台取りよせたものであった。そして、
旦那はまた五六年前、箱になった、自動的な活動写真機を買いこんで、表の椎の樹の蔭にたてて置いた。
穴のなかへ一銭銅貨を入れると、ひとりでにチャップリンの喜劇が覗けるしかけである。機械は今でも古さびた姿でぽつねんと佇んでいるが、奥地から隣り町へ買い物にでかける百姓や、野菜売りは大抵その前まで来ると、脚をとめる。そして、しばらく思案したのちに、
丁度、感激の最高潮に達した時、呆気なく映画は終ってしまう。すると、百姓は
「ほんに
椎の樹の幹や、葉っぱは夏になると道路の上に、大きな影を落して、天然のビーチパラソルをつくる。そして、パラソルの蔭には、梨売りや、大福餅屋の
「そこを通る若い衆。ちょっと寄って行きならんか。活動ば見て、梨ば食べれば
旦那がこの村の文化に貢献したところを並べたてていては限りがないが、一度などは小学校に音楽隊を寄付したこともあった。
これは比較的最近のことである。学校当局は旦那の厚意を非常に喜んで、先ず音楽隊を組織する条件として、特に
音楽隊が部落を行進する時、村の人気は大変なものである。
例えば郷社の大祭とか、郡の連合会などのために、全校の児童たちが隣り町へ出かける時には、必ずこの音楽隊が行列の先頭にたって歩く習慣である。そのあとから賑かな楽隊の音に脚なみを揃えて、六百十三名の児童が行進する。
行列は先ず村外れの丘の上に在る校門を出発して、土橋をわたる。それから埃っぽい村道を通って、暗い杉林のなかをくぐりぬけ、商家町へとさしかかる。静かな町の空気を震わすように、賑かな楽隊の音が遠くから響いてくると、店々から人々が表へとび出す。そして、行列を迎えて、歓呼の声をあげる。
そういう時、長友先生は、音楽隊の先頭にたって、血色のいい頬を精いっぱいにふくらましながら、クラリオネットを吹いて歩く。先生はそういう時、大抵、
牧の旦那はそれに気がついて近頃では
「音楽隊を寄付したのはいいが、あれでは
と、心配しているのである。
三太が子供部屋で積木細工をして遊んでいると、中庭から源吉爺さんの
「アコン、アコン、山羊が着きましたどう」
二三日前、入港した第二海竜丸が、上方から山羊を
第一、第二の海竜丸は旦那の
第二海竜丸の木山船長は
裏庭へとびだしてみると、山羊の夫婦は小伝馬船から川岸へあげられ、丁度、裏門から入ってくるところであった。首に綱をつけた
まっ黒な
「どうです、アコン。すごい
旦那や、奥さんや、二人の女中や、数名の若い衆たちが、賑かに中庭から現われると、牡山羊は突然気がたったように、猛烈な勢いで、前脚を突ったて、尻ごみして船長を困らせる。
山羊の夫婦は、裏庭の
額の汗を大きなタオルで拭いながら、船長が旦那に挨拶している間、三太は母親の腰にまつわりついて、初めて見る家畜を熱心に見つめていた。蹄は石炭のようにまっ黒で、角には美しい縞目があり、
「犬よりか、山羊の方が強かな、お母さん」
騒々しい人声のなかで、牡山羊は、後脚をぽんとはねて
「もっと走れ、もっと天まではねい」
牡山羊が暴れるたびに、無花果のひろい
旦那はひどく満悦な調子で、辺りを見まわした。
「誰か、この元気者と腕
源吉爺さんが、早速、腰にさげていた汚い手拭いで頭に鉢まきし、浮き浮きと前にとびだした。そして、早速、両腕を牡山羊の
「ヤの字」が得意そうに三太の顔を覗きこむ。
「こ奴は大した力もちじゃから、こんげなヨボヨボが相手になれるもんですかな」
若い衆が順次に敗退して、三人頭をかきかき引きさがったのち、旦那はこんどは三太を前におしだそう、とした。
「お前もやっちみい」
しかし、三太は恥しがって、母親の腰にしがみつき、体をかくしてしまった。間もなくやっぱり三太は皆の前に出て、こわごわと山羊の体にさわってみる。背の毛に触れても、頭を
肥料小舎の板壁をバックにして、間もなく三坪ほどの
山羊の夫婦はそのなかで、とんぼ返りをうったり、金網に体をすりよせたり、鋭い歯で板や、針金をガリガリ
牡山羊は大抵、狭い
「なにが不足で、わりゃ
しかし、山羊は騒々しい
「なあに、腹ごなしに、ちょっと、ひと汗かいただけの話ですさ」
豆腐の
豆腐の粕を配達するのは、お浜の任務である。お浜はひどく嬉しそうに、その任務を受けもっている。豆腐屋から少しばかりの賃金が貰えるからでもあるが、それよりか長友先生に会う機会が多くなるからである。
湯気のたっている小さなザルを胸のなかに抱くようにして、お浜はまだ人通りの少い裏の川岸づたいに、旦那の家へ毎朝やってくる。紺絣の着物を引きずりながら、裏門からのっそりと入ってくると、お浜はザルを黙ってぬっと爺さんにさし出す。爺さんは大抵倉庫の扉を開けに廻っているところであるが、ザルを笑いながら受けとると、腰に錠前をじゃらじゃらさせながら、山羊の檻のなかへ入って行く。そして、ふちの欠けた
檻の外では金網に両手をかけて、お浜がにやにや笑いながら佇んでいるのである。爺さんは檻の外へ出ると、ザルをお浜にかえしながら、おかしなほどしんみりした声でいう。
「わりも、独り身で寂しかじゃろな。魂のなかけだもんでさえ、
相手にかこつけて、爺さんは自分の孤独を嘆きたいのである。檻によりかかったまま、お浜はにやにや笑っているばかりで、返事もしない。
「わりも早くよか
すると、お浜ははじめて答える。
「よけいな世話ばやかんでくれなはり。わしにはよか人がいるんじゃから」
お浜ははげしい喰ってかかるような声をだすが、眼だけは善良そうに笑っている。お浜は妙に澄んだ、美しい眼をもっているのである。
朝の散歩に出かける途中、旦那がひょっこり裏庭に姿を現わすこともある。旦那を非常にえらい人である、と思いこんでいるお浜は旦那の姿に気がつくと、まっ赤になってしまう。金網から離れ、お浜は急にそわそわする。そしてだらしなくはだけている襟もとをあわててかき合わせよう、とする。襟もとがあわさると、こんどは裾がたちまちはだけてしまうのだが、それでもお浜はいくらかほっとする。そして、例のにやにや笑いを浮かべながら、土の上と旦那の顔とを見較べるように眺めている。
そういう時、旦那はいつも上機嫌にからかうのが常である。
「お浜、
お浜は時折り、ワラビやモチクサなどの季節の野の草を、ひとにぎり持ってきて、源吉爺さんに黙ってぬっとさしだすこともある。爺さんはすると、歯のない歯ぐきをまるだしにして喜びながら、両手で押し
晩春の午後、裏庭では旦那が気ぜわしそうに爺さんや、若い衆たちを指図して、小さな
家から一里ばかり離れた、村外れの
荷馬車の頭にはトヨがつながれている。昔は共進会で、競馬
蜜柑畑には、源吉爺さんと一緒に三太も行くことになった。座布団の敷いてある窮屈な祠のなかに、爺さんは三太を抱きあげて
トヨの手綱は例によって爺さんがにぎり、賑かな声に見送られて、三太の馬車は門を出た。
馬車が町なみを外れて、田圃径にさしかかると、とたんに暖かい風が、むっとするほど菜種の匂いや、黒土の香りやを三太の顔に吹きつけてくる。
「ひとつ、速いところをやらかしますかな」
それまでのん気そうに鼻唄をうたいながら歩いていた爺さんは、ひらりと身軽そうに御者台にとび乗った。
爺さんはトヨの尻に激しいひとむちをくれる。するとさなきだに菜の花の匂いに興奮していたトヨは、まるで忘れていた若い血が急にたぎりあがってきたかのように、忽ちギャロップの姿勢に移る。小石の多い
菜の花畑では百姓たちが
「あれ、ほんに小さか生き神さまじゃなあ」
背や
キラキラする白雲の光りや、強い花の匂いや、はげしい馬車の弾動や、百姓たちの冗談やに、三太は酔っ払ったように上気している。
御者台に三太は話しかける。
「生き神さまてなんかな」
漸く爺さんは手綱をゆるめて、トヨを並足にさせる。トヨは体全体が黒ずんで見える位ぐっしょり汗をかき、苦しそうに大きな息を吐いている。
「人間は死んだら誰でも神さまになりますがな」
爺さんは背で三太に答える。
「アコンは生きているうちに、神さまの家に住みなはったから、即ち生き神さまですがな」
「神さまになったらどうなるかな」
「神さまになったら、独りぼっちでもちっとも寂しゅうなかですがな。いつでも
爺さんは懐から汚れた手拭いをだして顔をぬぐった。
「源吉爺さんも、死んだらやっぱり神さまになるのかな」
爺さんは嬉しそうに、歯ぐきをまるだしにして、御者台からふり返った。
「なるとも。なるとも。アコン。早う神さまになりたい、と、思う時がありますがな」
畑のところどころには空地があって、そこには薩摩芋の蔓が山のように積まれている。祠のなかから三太はそれを眺め、眺め、体をゆすぶって力んだ。
「トヨよ、走れ、走れ」
家では山羊が
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旦那の家の裏門のすぐ傍らには、胴まわりがふた抱えもあるような、太い、高い、
初夏の頃になって、枝々いっぱいに青い、かたい、小さな葉が繁ると、この樹には無数の毛虫が
そのてぐす糸でつくった釣竿をかついで、朝はやくか、夕方、仕事を終ってから、爺さんは裏の川岸へでかける。楽しみの少ない爺さんにとっては、釣が一番の楽しみなのである。
夕方、爺さんが釣にでかける時は、大抵三太がついてゆく。しかし、朝でかける時は、いつもまだ布団のなかで
川岸にはまだ眠りから醒めないような、伝馬船が一二艘、柳の樹の蔭につないであるばかりで、まだ人影もまばらである。爺さんが伝馬船に乗り移って、静かな流れのなかに釣糸を垂れると、お浜は柳の樹の蔭にかがみこむ。そういう時、爺さんは大抵熱心に川面を覗きこんでいるからいいが、
爺さんはお浜に無駄口をたたく。
「わりゃ、どこでうまれたんけ」
するとお浜はにやにや笑いだして、無愛想に答える。
「わしゃ知らん」
「
「知らん」
「姉さんはどこに行きやったのけ」
「知らん」
爺さんの質問にお浜は
糸にかかるのは大抵ダグマ
携えてきたバケツのなかに、ダグマ蝦を十匹も釣りあげると、爺さんはバケツの水をこぼす。そして、伝馬船から降りて、お浜の眼の前にさしだす。
「
お浜は嬉しそうににやにやしながら、恥しさを知らないもののように、着物の裾をくるりとめくって、爺さんの眼の前にひろげる。その即席の風呂敷のなかに、爺さんはバケツの蝦を全部あけてやる。下腹のところにまるく蝦をつつみこむと、お浜は垢のたまった脛をちらつかせながら、前こごみに泳ぐような恰好で、息をはずませながら、自分の家へ帰ってゆく。
真夏になると、村いっぱいに植わっている椎や樟の葉がのびて、部落のところどころに涼しい、天然のテントを張ってくれる。しかし、樹の
そういうある日、隣り町の登記所へ行った帰りに、旦那が木橋の上を歩いていると向うから馬力の六やんが荷馬車をひいてやってくるのに
六やんは旦那に近づいてくると、ひげだらけの顔いっぱいで笑いながら、古い、破れかかった
「旦那さん……」
六やんは汗の匂いがぷんぷんするシャツ一枚の体を無遠慮に近づけてくると、まるで耳うちでもするような恰好でひっそりと切りだしてきた。
「お浜にお手がつきましたげなな……」
まぶしい川面の照り返しのなかに、
「そりゃ、なんのことじゃ」
愚鈍そうに相変らず六やんは、にやにや笑っている。
「お浜がはらんどりますが……。旦那さんがええことなさった、という噂で」
言葉の意味がわかると、旦那は顔いろを変えた。怒りのために体が震えるくらいであった。旦那は「紳士」としてのたしなみを忘れて、六やんに暴力をふるいかねない剣幕を示し、両の拳をしっかり握りしめた。
しかし、旦那は
家へ帰るなり、旦那は外出着の
「お浜が妊娠している、というのはほんのこっけ」
お浜という言葉を聞くと、爺さんは顔いろを変えた。それから、齢甲斐もなく、臆病そうに震えはじめた。
「明日からお浜を家によせつけることはならんど」
爺さんは
「馬力の六も出入りさしとめじゃ」
事件の少いこの村にとっては、お浜が妊娠している、という噂は大きなニュースであったが、このニュースに最も恐慌をきたしたのは、馬力の六やんをはじめ平素、遊び手として定評のある人たちであった。こういう人たちは平素は好色なゴシップに対して、わりに寛大な態度をみせるのが普通であるが、こんどだけは特別であった。相手が相手だけに、さすがにこういう人たちでも、痛くもない腹をさぐられるようなことになっては、心外である、と考えたのであった。
こういう人達は自分に疑いの眼がむけられる前に、いち早くそれとなく他人の名前を暗示して置いて、自分だけでも噂の圏内から逃げだそうと務めた。だから根も葉もない噂の対象に選ばれたのは、牧の旦那の異様な鼻ばかりではなかった。村では眼ぼしい人、例えば村社の神主、収入役、それから長友先生など
そして、そういう騒々しい噂のなかを、ひとりお浜だけが、下腹のつき出た、裾のあわない、はっきりと
南国の陽が漸く衰えをみせたころ、長友先生が突然代用教員をやめて、出京することになった。若い清純な先生の気もちには、村のこういう淫らな雰囲気は耐えられないところであったが、これを機会に
村をはなれて、先生が出発する時には、小学校の児童たちは、列をつくって隣り町まで見送って行った。この時も例の音楽隊は、行列の先頭にたって歩いたが、先生は旅行用のバスケットは子供の一人に預け、自分はいつものようにクラリオネットを吹奏していた。しかし、先生はよほど悲しかったのであろう。吹奏はこれまで聞いたこともないくらい出来がわるかった。
先生の出京をお浜に知らせないように、豆腐屋の婆さんなどは十分気を配ったものであるが、しかし、どこで聞いたのか、行列が木橋近くまで来た時、結局、お浜は姿を現わしてしまった。そして、遠足などの時のように、垢のたまった脛をちらつかせながら、跣足で行列について歩いた。先生がいよいよ汽車に乗ってしまうと、高等科の女生徒などは、声をあげて泣きだしたが、お浜だけは悲しそうな顔もせず、相変らずにやにや笑いながら、木柵にもたれて、先生を眺めていた。見ている人たちに、それは哀れな、奇妙な感じをあたえた。
まだ日の暮れない秋の夕であった。馬力の六やんは隣り村からの帰り径、千両坂のてっぺんで休んでいた。
坂のてっぺんには一本松が在って、松の樹の下には、石の地蔵さまが祭ってある。六やんはふりのいい、太い松の枝に馬をつなぎ、自分は地蔵さまの前にかがんで、
間もなく六やんは
お浜の住み家であるトタンぶきのあばら屋から、辺りをうかがうようにして、一人の男が戸外の
この一本松の地蔵さまについては、伝説が残っている。
地蔵さまは昔、O川の上流からこの地方に流れてこられた。流れに浮かんでいる地蔵さまの発見者は同時に二人あった。一人はむかい岸にすんでいる商人で、一人はこの村の百姓の娘であった。二人の間には忽ち拾得権の争いが起きた。両方の岸から、商人と娘とは口汚く
人情を解されることが深い、というので、この地蔵さまには今もって参詣者がたえない。いつも派手な色の、ま新しい
冬近い午後。
三太は久留米絣の八ッ口の間から両手をつっこみ、鉢の開いた頭を前へつんのめりそうにして、裏庭へでてみた。
裏庭には若い衆は誰も居らず、源吉爺さんが独り椋の樹の根もとにかがみこんでいた。丁度、てぐす糸を毛虫からひきぬいている時の恰好である。しかし、もちろん今は青葉の季節ではない。黄ばんだ枯れ葉が、風ふくたびに空たかくまいあがっては、爺さんのしなびた顔に散りかかっている。
「爺さん。源吉爺さん」
三太は呼びかけた。
しかし、爺さんはうつむいたまま、返事もしない。眠り
びっくりして三太は
その鳶の高くはるかな視界のなかには、三太がぽつねんと佇んでいる椎の樹の多い部落や、対岸の静かな町や、それらを包んでいる広い広い田畑や、そのなかを貫通しているO川や、遠い山なみやが一望のなかに眺めわたされる。そして、その眺めは太古からまるで変らなかったかのように、静かで、悠久である。その悠久な自然のなかを、既に神さまになった源吉爺さんの魂は、恐らく今はなんの屈託もなく、風にふかれてさまよい歩いているにちがいない。
早い南国の菜の花が、部落の畑いっぱいに咲きそろった頃、お浜は女の子を産んだ。色のわるい、平べったい顔をした、どこか