時の流れ
鈴木大拙
「時」は流れると云ふ、それはどんな意味であるか、もとよりはつきりわからぬ。が、我々は普通さう云ふ、またさう考へて居る、何だかわからぬにしても、時を過去・現在・未来にわけると、その「流れ」は過去から現在に、現在から未来へと云ふ塩梅に、どん/\流れて行くと云ふことになつて居る。
「時」を刻むと云ふ時計なるものがある。カチと響いてしまへば、それが過去で、カチ/\とやつて居るときが現在で、まだカチとも何とも云はぬときが未来だと云ふ。併し少し考へて見ると、これほど曖昧なことはない。なぜかと云ふと、このカチなるものを捉へることほど困難なことはないのである。カチときくとき、それは既に過去であり、まだきかぬと云へばそれは未来である。現在は過去が未来に転ぜんとする刹那がそれだと云ふが、その刹那はいつも移動性をもつて居る。アッと云ふ間もなく「刹那」はもうそこにないのである。現在ほど現実なものはないと云ひつつも、その現在ほど捉へ難いものはない。捉へ「難い」ではなくて、その実は捉へ「能はぬ」である。現在が既にさうだとすれば、その現在を基点として、過去と未来とを語らんとする人間の考へは、極めて浮動性を帯びて居ると云はなければならぬ。浮動性と云ふよりも寧ろ極めて抽象的だと云つてよい。現在・過去・未来などと云つて、「時」を刻むのは人間の考への実際的便利の上から云ふので、その実これほど「事実」に即せぬ、非具体的なものはないのである。
「時」を空間的に翻訳して水の流れに喩へて見ると、何だか解つたやうでもあるが、その実、問題は益々迷路に入るのである。川上が過去で、川下が未来だと云ふことに見たいのであるが、「時」の未来なるものは、まだ出てこないのであるから、川の水を山の上からでも見るやうなわけに話することは出来ぬ。川と云へば、両岸に沿うて川床がある、その上を水が流れて、そこに「川」なるものが出来る。「時」にはそんな川岸も川床も考へられない。而して又吾等は「時」なるものを川のやうに、「時」そのものから離れて、それを「時」の岸から見るわけに行かぬ。「時」の岸に上つて「時」の流れを見ると云ふときには、その「時」は現実性を失つてしまふ。なぜかと云ふに、吾等はいつも「時」そのものの中に居るのである。過去・現在・未来の三世に「時」を切つたり、またその外で「時」の流れなるものを一つの連続体として眺めると云ふことは、「時」そのものと、何等の関係をもたぬ抽象体の話をして居ると云ふことになるのである。
「事実」と云ふことは、どんなことを云ふのか、はつきりわからぬやうでもあるが、「時」の事実は実に「時」そのものの中に生きて居ると云ふことに外ならないのである。「時」そのものの中に生きて居ると云ふことは、「天上天下唯我独尊」と云ふことでなければならぬ。此独尊者が「時」を作つて行くのである。「時」は独尊者の生きて行く痕跡なのである。「時」を此独尊者から離しては解せられぬのである。「時」は痕跡であるから、それのみを「事実」だと見て居ては、巨人の独尊者はもうそこには居ないのである。吾等の考への混雑は実に此矛盾から始まると云ふべきであらう。
何が具体か何が抽象かと云ふことは、その人の考へ方、見方によりて相違すると思ふ。例へば、此処に一つの茶碗があると云ふ、又向うに雀が四羽電線の上に集まつて居ると云ふ。これほど具体的なはなしはないと考へられる。すべて感覚上の経験は具体的で、それが一旦思惟に上せられると抽象的になると云はれる。ところが、これが果してさうかと云ふに、此感覚上と云ふのが甚だ具体でないのである。独尊者その人の動きからと云ふと、「此処」とか「其処」とか云つて、空間に区切りをつけたり、雀とか茶碗とか云つて「個」的限定をやることは、頗る抽象的なことなのである。こんな限定は独尊者の与かり知らぬところである。即ち独尊者と云ふものから引き離して考へたところから、「此処」があり、雀が出るのである。雀と云ふ「個」は思惟を経た抽象体である。「此処」と云ふも同じ道理である。独尊者の本体は此処にも居なければ、雀でもないのである。それ故、彼は此処にも在り、彼処にも在り、雀でもあり、電線でもあり、ペンでもあり、何でもかでもあり得るのである。
世間では独尊者は抽象的思惟の結果であると云ふ。併し、今一つの観点からすると、即ち雀と云ふも既に抽象的であると云ふ方面から見ると、独尊者と云ふものほど具体的なものはないのである。それで宗教者ほど具体的世界に棲んで居るものはないと云へる。親鸞聖人など世間は虚仮で、何もかもそらごとであると云はれるが、実にその通りである。「虚仮」とか「そらごと」とか云ふのは、抽象的だと云ふ言葉に外ならぬ。又世間では哲学者を抽象的概念の請負業者と見て居るものもあるやうだが、なるほど或る哲学者はさうだとも云へるであらうが、中には全くさうでないのもある。此見分けをするには、やはり独尊者を体認したものでなければならぬのである。而して具体的なものほど普遍性をもつて居るのである。抽象性を帯びたものは、どこかに主観性を隠して居る。而して此主観性の故に一般的には受けとれないのである。自分の考では、普通の人の見方を逆にせぬと、真実の世界――それが即ち最も具体的なるものであるが――、それへは入ることが出来ぬと云ふのである。これが出来ぬと、「思想善導」など云ふことはとても口にすべきでない。
「時」の流れに沿うて歴史が展開して行くと云ふことを聞くこともあるが、こんな無意味なことはないと思ふ。歴史と云ふものがあつて、時を流れるとは考へられぬ。時は前述の如く、白紙を瀑布のやうに拡げて居て、そこを歴史が或る高処から落ちて来る。而してそれを吾等が見て居ると云ふものではないのである。白紙を掛けたやうな「時」と云ふものは本よりないのである。さう考へるのは抽象の結果である。随つて歴史が其上に何か跡づけて行くと云ふのは、本当の歴史の影を追つかけて飛びまはると同じである。手に入れたと思ふのは抜殻に外ならぬ。そんな抜けがらを捉へて後生大事と心得て居るものに限つて、生きたものを死んだものに仕替へてしまふ。即ち死骸のミイラを仏壇なり神殿なりに祭り込んで、その前に三拝九拝して、その中から後光の流れ出るのを待つて居る。鰯の頭の信心よりまだ馬鹿げて居るのみならず、こんな手合ひに限つて、自分の抽象した干枯びたミイラの押売りをやらうとする。自分だけの信心ならそれもさうで、別に他から何とも云はれず、またそれで趣きのあるものである。が、干物の押売をやる連中になると、その禍の及ぶところ誠に図り知るべからざるものがある。
歴史の干物、「時」の影ぼふしを随喜渇仰して居る人々は、「過去」に膠着して一歩も前進し能はぬのである。干物はどうしても蘇息せぬ、影ぼふしはどうしても自分で動き出し能はぬ。それ故、彼等には現在も未来もない、また主観を飛び越えるほどの元気もない。彼等はいつも過去の影を背負つて居るので、而してその影の重きに堪へ得ないので、過去をぬけ出て、現在にはひることが出来ぬ。ましてそれから未来への飛躍を試みんとする意気に至りては、露ほどもない。本当の歴史は飛躍の連続である、非連続の連続である。独尊者はいつも現在の刹那において過去から未来へ躍り出る。彼は現在の一刹那において黒暗暗の真只中を切り抜ける。此一飛躍の中で所謂る「過去の歴史」なるものが、溌剌たる生気を取り返すのである。独尊者の巨歩は実に此の如く堂堂たるものである。何ものの閑人ぞ、敢て彼を干乾しにはせんとする。又何ものの「現実」主義者ぞ、彼を「過去」の棺桶の中に封じ去らんとする。
独尊者は「時」の流れに順はぬ、「時」の中に居ない。「時」は却つて彼の跡を逐ふのである。彼あるが故に「時」がある。彼の動くあとに「時」がのこるのである。彼には固より「時」をのこす意図も何もない、彼ほど現実の具体者はない。抽象せられた「時」なるものは彼を何ともすることが出来ぬ。彼の後へにくつついてまはつて居る。彼に追ひつかんといくらあせつても、彼はいつも「時」よりも一歩前進して居る。彼は「時」を使ふが、「時」は彼を使ひ得ぬ。昔趙州禅師は「諸人は十二時に使はれて居るが自分は十二時を使つて居る」と云つたが、その通りである。趙州は独尊者であつた。これが臨済の、「随処に主となる」である。別に何かのはからひがあつて、主人公となると云ふのではない。「自然法爾」底なのである。人間的に「主」とか「客」とか云ふが、独尊者の方からはそんなものはない。孤行独往である。それを人間――「時」――が跡から跡からと逐ひまはる。而してそれを「歴史」と云つて、それに一所懸命にくひ下つて居る。彼等は「時」の流れに溺れるものである。
独尊者とか、主人公とか、独往などと云ふと、世間で云ふ自我主義者又は専制家又は暴力団などを聯想するかも知れぬが、これほど甚しい誤解はないのである。殊に近来は「力」哲学が盛んに宣伝せられて居る。力の前にはすべてのものが懾服しなければならぬやうに仕向けられて来た。それから此種の宣伝に乗じて、各種の暴力主義が謳歌せられて居る、又実行せられて居る。併し此ほど危険な思想と現実はないのである。これが何年か続けば、国は亡びてしまふ、民族は衰へてしまふ。誠に寒心すべきである。
歴史を解するには「時」を知らなければならぬ。「時」を知るには、多少かの思索・反省・分析が必要である。併し只それだけではいけない。思惟から直観へはひらねばならぬ。即ち独尊者の実体を把握しなければならぬ、最も具体的か最も真実的で最後的なものを把握しなければならぬ。その時、「時」の流れと云ふことの意味に徹底し得られる。即ち本当に生きて行けると自分は信ずる。
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