擬似新年

大下宇陀児




 さて、新年の御慶を申そう。
 明けましておめでとう。
 貴家の万福を祈り、併せて本年もよろしく御交誼のほどを。
 ああ、しかし、こう書いてみて、この御挨拶の空々しさは、なんとしたことであろうか。いま私は、駅の向うに火事があり、その火事を見に行つてきたところだ。かなりの大火で、はじめのうち、行こうかどうしようかと思案したあげく、火の見当からいうと、ある程度親しくしている人々が住む地域でもあるし、机上山をなす新刊探偵小説飜訳書を読むのに疲れたところではあり、ともかく行こうと決心して家を出て、駅まで五分、最短距離十円の切符を買つて、あの長い駅のブリツジを渡つて、さて駅の西口へ出た時に、まだ頭から、さんさんとして大小の火の粉がふつてきたくらいだつた。
 時刻は、夜の九時半。
 この地域に蝟集するバラツク建てのノミ屋とパチンコ屋に、今を盛りと客がはいつている時刻で、それに東京では、新宿に次ぐ多数の乗客を呑吐するといわれる池袋駅で、その眼の先きから出火したのだから、駅前は身動きの出来ぬ雑沓で、悪くすると私など、押し倒されかねまじき形勢である。
 火のはぜる音が聞える。ポンプの水しぶきが、頭や襟首へ冷たくかかる。しかし、人は不思議に大きな叫び声も立てず、煙と焔を見上げて彳み、消防官に追い立てられて、右へ行つたり左へ行つたりしている。
 黒い煙と赤い焔が、たちまちにして、白い蒸気の色になつた。
 ノミ屋のアンちやんらしいのが、駅の軒下へ運び出しておいた荷物を、両腕にかかえて立上つて、「もう大丈夫だ。ぼつぼつ商売にかからにやならねえ」といつた。燃え残つたから、この人出を幸い大いに稼ごうというつもりらしい。東京というところは、そういうところだ。他人の災難や不幸だつたら、いくらでも我慢する。こつちは金儲けさえすればいいという人間が、約八百万人集まつている。私も、考えてみると、火事を消すためじやなく、消防の邪魔になるのに、わざわざ見にきたのだから、その仲間かも知れない。
 麻雀友だちで、ノミ屋だつたり質屋だつたり撞球屋だつたりしている、通称かんちやんの家は、どうやら焔の海の真ん中らしく、見舞つてやりたいが、そつちへは消防官がやつてくれない。蛇屋が焼けたそうだ。蛇の逃げ出したことだろう。蝮が逃げたら危ぶないなと思う。一週間前に、玉を百円買つて、ピース四個をもらつたパチンコ屋も、そのそばの肉屋も魚屋も焼けたらしい。サンマの匂いがしたろうねとか、また、大きなビフテキができたろうとか、焼けた家の人にまともにいつたら、横面をひつぱたかれるような、呑気なおしやべりをしている見物人がある。私も、それを聞いて、ちよつと吹き出していた。
 遠廻りして、火災現場の向う側にある空地へ出てみる。
 この空地も、見物人でいつぱいで、ところどころ、運び出した蒲団や家具や商品が、地べたへ、雑然として置いてある。写真が百枚近く散らばつて、靴に踏まれ、泥まみれになつているのがあつた。新郎新婦らしい写真があり、家族団欒の写真がある。ふいに、私の胸へ、何か哀れな感じが湧いてきた。そして私は、立教や乱歩の家の方へ行く広い通りへ出て、馴染みになつている蒲団屋や菓子屋や金物屋は、まつたく被害がなかつたのを確かめてから、三十円の蜜柑を買つて食べながら、ゆつくり家へ帰つてきた。
 が、雑誌の正月号への随筆を書かねばならない。
 そこで、新年の御慶となつたわけだが、何がさて今日は十一月の十二日だ。ねつから新年らしい気持が出ない。明日は、十三日で金曜日だ、なんてことを思つてみる。どうも気分がぴつたりしない。むりにお正月の気持になり、のんびりしたことを書こうと決心する。
        ×    ×    ×
 去年中で(正しくいうと、まだ十一月だから今年中だが)いちばんおかしかつたのは、B・FとG・Fとの話だ。
 なにしろ、新語というものは、あとからあとからとできてくる。
 アジヤパーは、もうすたつたようだけれど、近頃では、腹が立つことを、カチンと来たという人がよくあり、少女がサイザンスというのを聞いたことがある。B・FとG・Fもその仲間で、それほど流行しなかつたようだが、ボーイ・フレンド、ガール・フレンドのことだそうな。
 オールドボーイスがO・Bだから、いや、そもそも、W・Cは昔からあり、今はまた世界中がABCのアメリカン・ブロードケースチング・コーポレイシヨンからはじまつて、そういう約語だけで辞書ができる世の中だからB・FとG・Fは、あつて不思議なことではなく、むしろ新語としては、たいへん気の利いた言葉だといつてもいいくらいだが、これを私が知らなかつたのが運の尽きである。
 ある日、私のところへ、一人の大学生がきた。
 はじめに私は、いやな奴だと思つた。
 なぜなら私のことを「おじさま」というのである。
 初対面であり、血縁関係は皆無であり、この野郎の伯父にも叔父にもなつた覚えはない。少女が、未知の年長の男を「おじさま」と呼ぶのは、ちよつとよろしく、しかし男の子は少なくとも「さま」でなく「さん」にしてもらいたい。でなかつたら「おつさん」でも、まア、ブリキ屋のおやじと間違えられた不安はあつてもその男の子を、男性的に見せるからいいけれど、やはりこんな場合は、値打ちがあつてもなくても「先生」と呼んでくれる方が、耳障りでなくてよろしいと思うがその野郎は事ごとに私を「おじさまおじさま」と呼ぶから、男色家に非る私はまことに不愉快だつたわけである。
 しかし、時間の都合があり、それに私は気が弱いから、がまんしてこの男の子と話しこんでいた。
 すると彼は、写真のことを話し出したが、写真については、少なくとも私より造詣が深いようである。また、かなり高級な写真機を持つているようである。私は、その昔、海野十三のあの独特の親切にほだされて、ローライ・コードを買わされたことがあり、そののち、ついにめんどうくさくなつて、これを人に無償で与えてしまつたが、そのことなどを思い出しつつ、適宜にばつを合せて話していると、この小僧は、とつぜん「時におじさまはジーエフをお持ちですか」と訊ねたのであつた。
 私は、お断りした如く、ジーエフが何のことだか知らない。
 けれども、この小生意気な癪にさわる小僧のいうことを、知らないというのは癪だつたから、知つているふりをしてやつた。
 但し、悪いことに、写真の話の続きである。私はそれを、てつきり、最新式の極めて精巧な且つ便利な、もしかしたら赤外線、または天然色のアメリカからでもきた写真機であろうと、その瞬間に判断した。二十の扉だと、私はあまり上手じやないけれど、時にはズバリと一問であてることもあるのだから、ある程度の自信を持つのは当然だと、誰にしても同情してくれるだろう。同時に私は、テレビジヨンのことも、チラリと頭の隅にうかんだ。そして、なお用心ぶかく、「いや、ジーエフは持つてないよ」
 と、さもわかつているという顔で答えた。
 すると、くだんの馬鹿つ小僧が、次にいつた言葉が、なおさら悪かつた。
「でもおじさま。おじさまは職業から、ジーエフをお持ちになつていた方がよいと思いますよ」というのである。
 私は、やせてもかれても、小説家だ。小説を作る時、ジーエフがあつたら、気持も若やぎ体験も増して、大いに役立つことがあるだろうという、甚だ思いやりがあり、且つ大いに適切な忠言だつたわけだが、私の方では、そういう上等の写真機で、たとえば前述の火災現場など写してきたら、小説を書く時の役に立つ、という意味だと思つてしまつた。そこで、やはり、大いにジーエフを知つている顔をして、「いや、あれは、まだ高いだろう。セコハンで安い出物でもあつたらね」
 再び、テレビジヨンの値段を思い出しつつ答えたのであつた。
 思いやりのある、優美な顔をした、この富める青年は、忽ちにして呵々大笑し、ジーエフとは何であるかを私に説明し、私の方は、顔を逆さに撫でられたみたいで、ウームと唸つたが追いつかない。まつたく、どうにも、いやはや、ほうがえしのつかぬことになつてしまつた。
        ×    ×    ×
 もう一つ、同じような言葉の問題で、これはおかしかつたというより、ちよつとほがらかな機智の話である。
 ある夜私は、近親者が相集まつた席で、敬語についての意見をのべた。
 ずつと前のことだが、女中さんに、敬語を適度に用いよ、と注意しておいた。すると、飼犬が少し胃が弱くて食慾不振だつたのを心配していた私が、朝起きてその女中さんに、
「オイ、どうだつた。ベアは飯を食べたか」と訊くと、「はい、おあがりになりました」と答えたことがある。
 こういう敬語は困るけれども、ということから話しはじめて、当節は世の中が混乱し、日本語の美しさである敬語が、次第にめちやくちやになると憤慨したり、「お米」などは、敬語がつかなくてもいいけれど、米をありがたく思う表現として、敬語をつけるのも、また床しいことであると話したり、最後にこの「お」の字の使い方を論じだした。
「お」は、へんなところへ使うと、滑稽でもある。
 最近何かの新聞に、伊香保で、蘆花せんべいというものにつき、元祖と偽ものとの争いが起つて、その一方が譲歩した結果「お」の字を加えることにして「お蘆花せんべい」と名付けたという記事が載つていた。が、これでは、愚かせんべいで、どうもへんである。
「お天気がお悪うございます」などいうのは、どうも「お」が多すぎる。どちらか一方にするか、または、両方とも取つてしまつてさしつかえがない。
 おみおつけ――は、もう慣れてしまつて、そういわないと、感じが出ないのであろう。お便所というのは却つてよけいに汚くなるようだし、かわや――は、それだけですでに、汚い感じを避けた言葉になつているから、おかわやという必要はなく、むしろ、きれいにいうのだつたら、それも男が使うとちよつとへんだけれど、お手洗いがいいだろう。だいたい、「お」を使うのは、センスの問題でもある。法律や憲法で決めたのじやないのだから、使い方は自由であるけれども、どこへ適切に使うかは、結局センスできまることである。だから、教養の高い人ほど、「お」を使うことが上手である、と私は話し、なお続けて、だいたいは、外来語の片仮名のものには「お」をつけぬのがよいと述べた。
 おビール、おサイダーなどは、女性が言う限りに於て、もう日本語になり切つていて、べつにへんだとは思わない。
 が、女性が好んで使うトイレツトなど、オトイレツトじや吹き出してしまう。オエレベーターは舌を噛み、オテレビジヨンだと、テケレッツの[#「テケレッツの」はママ]パーとつけたくなる。
 かくの如くして、私のお談義は、長くなつた。
 卓上のバナナは、いの一番に皮だけになり、栗の皮が散乱し、長火鉢の炭も燃えつきて、冷えた茶は、もう色がなく、茶碗へ注ぐと音が高くなつた。
 あつぱれ我娘は、中学三年である。
「わかりましたお父さま。でも、オムレツはいいでしよう?」
 私は、ぎやふんと参つた。
 そのつもりがあつての発言ではなかつたろう。が、図らずも虚を衝いた。
「うん、そうだつたな」私は答えて、この敬語の講演をぴたりと止め、そこで外来者も、ほつとした顔で、まだ外は人通りがあるうちに、帰つて行くことができたのであつた。
        ×    ×    ×
 改めて、新年の御慶を申上げよう。
 どうやら、これでやつとこさ、春風駘蕩たる気分が出てきたのではないでしようか。





底本:「宝石 一月号」岩谷書店
   1954(昭和29)年1月1日発行
初出:「宝石 一月号」岩谷書店
   1954(昭和29)年1月1日発行
※底本は新字新仮名づかいです。なお拗音、促音が並につくられているのは、底本通りです。
入力:sogo
校正:日野ととり
2017年1月1日作成
青空文庫作成ファイル:
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