永久機関の夢を見る青空文庫
青空文庫は、インターネットを利用した電子図書館である。著者の死後50年を経て著作権の切れた作品を電子化して公開しており、著作権者が無償の公開に同意した「新しい」作品へのアクセスも提供している。収録作品は、2001年末で、およそ1700を数える。
青空文庫を準備した設立呼びかけ人は、開設から間もない時期に、「最小限の組織化」を念頭において事務局体制を構え、以降、世話役として運営の舵取りを担ってきた。この枠組みのもとで、多くの作業協力者を得て、文庫は想定をはるかに越えた規模の成果を上げた。だがその一方で、事務局には、大きな作業負担がかかり続けた。2001年、事務局の疲労は限界に近いところまで深まった。
こうした状況への、常識的な対応策の一つは、事務局の強化だろう。だが、そうした道を選ぶ代わり、青空文庫は、事務局の壁を壊すことで、突破口を開こうと試みている。有限の人的資源で担ってきた事務局業務を、広く分散化してこなせれば、一部に負担が集中しすぎるという状況を改善できるのではと考え始めている。事務局の壁を壊すための論議は、世話役と作業協力者によって構成される、公開された青空文庫メーリングリストで進められている。組織なし、資金なしでも回り続ける仕組みをいかにして確立するか。青空文庫は今、運動の持続をかけて、新しい課題に取り組んでいる。
「無」から「最小限」の組織化で達成できたこと
1997年の春、エキスパンドブックと名付けられた電子本への関心を通じて知り合った4人によって、電子図書館の実験サイトを開けないかとする話し合いがもたれた。
文字の輪郭線と背景の境目に階調を付けて、読みやすさの改善をはかるアンチエイリアス処理。加えて、縦組みを可能にし、ルビの表示機能などを盛り込んだエキスパンドブックは、どうにか「画面で読める」レベルに到達しているだろう。このエキスパンドブックをサーバーに置き、インターネット経由で引き落とせるようにすれば、電子図書館の雛形くらいのものには、なるだろうという発想だった。
「電子図書館」と書けば大仰になるが、意識の上では、仲間と小さな実験を試みるという以上のものではなかった。自由になる時間を使い、自分たちのできる範囲でキーボードを叩き、校正し、ファイルにまとめてサーバーに置く。どのくらいのペースで電子化を進めていこうといった目標も、想定しなかった。運営体制や、資金の確保といった発想も皆無だった。
青空文庫と名付けて開いたページに、著作権の切れた短い作品を五つほど並べ、1997年の夏に、「こんなページを開いた」と4人以外の人に知らせ始めた。当初用意した作品は、国語学の研究者が公開していたテキストを、許しを得てエキスパンドブックに加工したものだった。ファイルは、その時点で最良の読みやすさを提供していると思われたエキスパンドブック版に加え、技術動向に左右されることなく、長い寿命が期待できるだろうと考えて、HTML版とテキスト版を置くことに決めた。設立の趣旨を示した文書では、ファイルの共用や共同作業を呼びかけておいた。
作業協力の最初の申し入れは、開館後、一月もたたないうちに寄せられた。一般のパソコンで使うことのできる第1第2水準にない漢字は、どう処理するのか。読みを示すために漢字の脇にふられたルビは、どう入力するかなど、作業方針に関する質問が寄せられるようになった。それらの大半に関しては、実は自分たちでも、どうするか決めていなかった。質問されるたびに、相談して方針を決めて答えていたが、協力の申し入れが3件を数えた時点で、作業マニュアルを用意するしかないと腹を括った。
現役の作家の名前を挙げて、「この人の作品を入力したい」とする申し入れもあった。そこで、著作権法の考え方や規定を解説する文書と、著作権の切れた作家のリストを用意することにした。同年12月のはじめに、「青空文庫工作員マニュアル」と、「著作権の消滅した作家名一覧」を公開することができた。電子化の作業が並行して進み始めると、着手済みの作品にも、入力申請が寄せられるケースが出てきた。そこで、入力開始、入力終了、校正着手、校正終了といった進行状況を個々の作品ごとに示す、「入力中の作品」と名付けた一覧表を用意した。
青空文庫の開設を準備した4人は、設立呼びかけ人を名のった。準備期間と開設当初までは、基本的に自分たち4人で入力、校正の作業を担うのだと考えていた。ところが現実には、開設直後から作業協力の申し入れを受けて、呼びかけ人は、マニュアルや電子化に関連する資料の整備、協力者間の調整といった、土台を固める作業に集中することになった。
青空文庫のスタート時には、電子図書館を志向する同様の試みがあった。その後もいくつか、電子図書館サイトが生まれている。それらと比較したとき、提案者が当初から仕組み作りに専念し、入力や校正の実務は協力者に全面的に委ねるという道を選んだことは、特徴的だったろう。作業の進め方や進行状況に関する資料が十分用意してあれば、協力したいと考えた人は、何をどこまでやるか、あるいはやらないか、青空文庫に問い合わせる前に、かなりのところまで判断できる。自分のペースで昇れる、「協力の梯子」を用意しておくことは、はじめて青空文庫に声をかける際の心理的負担を、引き下げる効果を発揮したと思われる。当初から他力本願主義を徹底させたことは、協力者を招き寄せるという面においても、有利な選択だったろう。
1997年の12月段階で、作業マニュアルの初期バージョンをはじめとする、最低限の資料がそろった。この時期、新聞や雑誌などで紹介されたことも手伝ってか、翌98年の春を前後して、作業協力の申し入れが、当時の世話役の目には「すさまじい」と感じられるペースで寄せられ始めた。
1998年の春は、この試みを準備した者たちが、当初まったく念頭においていなかった青空文庫の使い道に、目を開かされた時期ともなった。
日本で使用されているパソコンなどで広く使われている文字コードは、第1第2水準の漢字などを規定した、JIS X 0208である。これを拡張する新しい文字コードの策定作業が、当時進められていた。原案作りを担う委員会から、収録漢字選定の資料を提供できないか、打診を受けた。
青空文庫で電子化の作業を始めるとすぐに、第1第2水準にない漢字に突き当たるようになった。作業の基盤とした文字コードにない「外字」は、記号と「目+匡」のような文字の成り立ちを示す説明とを組み合わせて、「※[#「※」は「目+匡」」などと書くように決めていた。
この、外字注記を抜き出して資料としてまとめれば、第1第2水準にないどんな漢字が、誰が書いたどの作品のどこに使われているかを一覧できる。第3第4水準の漢字を選ぶに当たっては、単に漢字字書に掲載されているというだけでなく、日本語の文脈の中に用例があるものをとろうと考えていた策定チームにとって、青空文庫の外字注記は、有用な資料源となりうる可能性があった。
一方で、数多くの協力者が現れ、もう一方で、外字情報を、新しい文字コードの選定資料として使ってもらえる可能性が見えてくる中で、世話役グループは、作業のペースを上げられないかと考えるようになった。ここでより多くの作品を電子化し、より多くの外字を将来の文字コードに組み込んでもらえれば、新しい規格が普及した暁には、それらの多くを通常の文字に置き換えることができる。電子化の作業は、より簡単に進められるだろうし、成果物からは、わずらわしい外字注記を、大幅に排除できると期待がもてた。
ペースを上げるという課題にこたえるために、世話役グループは、活動を支える資金を得ることを、この時点ではじめて意識した。さまざまな研究活動に支援を行っているトヨタ財団に、外字情報の収集をテーマとして研究計画を提出した。これが採択されて、1998年10月から2年間で480万円の助成を受けられることになった。これを財源として、世話役グループの1名を専従として遇し、青空文庫の活動に専念してもうらうこととした。作業協力の申し入れは当初、入力に大きく偏っていた。入力済みのファイルが校正できないままたまっていくという事態が生じており、新しい文字コードの策定スケジュールに合わせるためには、締め切りを設ける必要があった。そこでこの時期、一部の校正作業を対価を支払って進めることも行った。
青空文庫は1997年夏の設立からおよそ一年間、活動資金なしで運営された。どうしても必要になる金は、必要性を認めたもの自らが負担した。この第一期のきわめて早い時期から、呼びかけ人は世話役として基盤整備や調整に専念し、入力と校正はボランティアの作業協力者に依存した。
トヨタ財団からの助成が確定した1998年の夏から、青空文庫の運営体制は第二期に移行した。文庫で作成したファイルは、当初から、無償で利用してもらうことを前提としていた。この基本姿勢を守り抜く上では、あくまでボランティアの作業協力によって、試みを進めたいと考えていた。ただし、全体の作業規模が膨らんでいくと、事務局機能の一部に関しては、専従者を置くなどして強化してのぞまざるを得なくなると思われた。「最小限の組織化は避けられない」として踏み切ったのが、1名の専従体制だった。
トヨタ財団からの支援は2年間の期限付きのものだったが、1999年9月からは、株式会社アスキーの支援が受けられることになった。本稿執筆時点の2002年初頭に至るまで、青空文庫は1名の専従者を含む世話役グループが、サイトの維持、管理と協力者間の調整役を果たし、入力、校正の作業はボランティアの作業協力者が担うという体制で運営されてきている。協力者は延べおよそ400人に上り、収録作品数は、2002年1月半ばで、およそ1730を数えている。
第二期の運営体制のもとで、青空文庫は電子翻刻を巡る作業協力の拠点の一つとして、一定の役割を担うことができた。青空文庫のトップページには、1日あたりおよそ5000のアクセスがある。アスキーの雑誌の付録CD-ROMには、定期的に青空文庫の全ファイルが収録されている。PDAや携帯電話での利用にふさわしい形式にファイルをあらためた、青空文庫の姉妹サイトもいくつか生まれている。利用という面でも、裾野はかなり広がってきている。
だが、そのもう一方で、第二期の運営体制は、ゆっくりと疲労をためていた。
2001年は、それが顕在化してくる年となった。
青空文庫の事務局が引き受けてきた作業
1名の専従者を含む世話役グループは、第二期において、以下の作業を受け持った。
1 入力申請を受け付け、既登録作品や進行中とのものとの重複がないかを確認して、問題なければ「進めて欲しい」旨の返答をする。合わせて、進行状況を示す「入力中の作品」リストに、当該作品を「入力中」のステイタスで書き加える。
2 入力ファイルを受け取り、基本的な処理形式に誤りがないかを確認する。問題がなければ、ファイルを預かり、問題があれば修正を求める。受け取った際には、「入力中の作品」のステイタスを、「校正待ち」に変更する。
3 校正作業に必要となる底本、底本のコピーを確保する。入力者からの供給を受けられるケースもあるが、世話役自らが手配するものも少なくない。
4 校正への応募があった際は、ファイルの形式整備を行った上で、プリントアウト、またはファイルと、底本、または底本のコピーを送付する。合わせて、「入力中の作品」のステイタスを、「校正中」に変更する。
5 校正済みのプリントアウトの赤字をファイルに引き写して、校了ファイルを作成する。校正者自らが修正まで担当してくれたファイルに関しては、修正点に問題がないかをチェックする。作業後、「入力中の作品」のステイタスを、「校了」に変更する。
6 校了となったテキスト版を元に、HTML版とエキスパンドブック版を作成する。
7 ファイルがそろった作品を、登録する。登録に際しては、当該作品の図書カードを用意し、書名リスト、著者名リストに書き加える。活動報告欄の「そらもよう」で登録を報告し、「入力中の作品」リストからは削除する。
8 登録済み作品に対して、入力ミスの可能性の指摘があった際には、底本と照合して確認する。誤りであった場合には、テキスト版、HTML版、エキスパンドブック版のそれぞれを修正し、「どこをどう直したか」を「訂正のお知らせ」に記載する。
入力、校正、登録に至る、これらの日常的な作業の流れの中から、マニュアルに採用してしまった適当でない作業方針や、規定できていない要素が浮かび上がってくる。これらを捉えて、作業者を含む適当な論議の場を設定し、マニュアルの改訂に向けてステップを進めていくことも、世話役の役割となった。
事務局体制強化のきっかけの一つとなった、JIS漢字コードの拡張計画は、2000年1月の、JIS X 0213の制定へと繋がった。この新しい文字コードは、従来パソコンで広く使われてきたシフトJISと呼ばれる実装方式でも使えることを、特長の一つとして打ち出していた。これに対応したフォントを用意して組み込めば、既存のシステムをほとんど変更することなく、取り扱える文字を増やすことができた。新JIS漢字(以下、従来のJIS X 0208のみによる環境を、「旧JIS漢字」、新しいJIS X 0213を加えたそれを、「新JIS漢字」と書く。)の普及は、電子図書館の前進に大きく寄与すると思われた。
ところが、既存のシステムを生かすためのシフトJISによる実装が、新JIS漢字の普及のじゃまをすることになった。この新しい規格は、シフトJISでは、旧JIS漢字のコード表で空きとなっていたところを埋めて、文字の拡張を図る。これまでOSやパソコンのメーカーが、空き領域を利用して独自に拡張してきた機種依存文字との不整合が生じる。これを解消するためには、JIS規格に正しく適合する「メーカーが勝手に文字を拡張することは行わない」という原則に立ち返るしかない。だがそれでは、これまで販売してきたものとの互換性が失われるとして、メーカーは採用に二の足を踏んだ。
そんな中、新JIS漢字に期待する人たちの中から、普及促進に向けたさまざまな試みが現れた。中でも、新JIS漢字対応のフォントの開発と公開は、こうした流れを一気に加速する役割を果たした。
フォントが用意されれば、次に必要となるのは、求める漢字を素早く探し当てられるツールである。そこで青空文庫では、部首・画数と読みの双方から漢字を探せる「新JIS漢字総合索引」を作成して、公開した。新JIS漢字を使うことの意味と実践的な活用テクニックを「新JIS漢字時代の扉を開こう!」と名付けた文章にまとめ、「新JIS漢字総合索引」の使い方も、ここで詳述した。加えて、外字注記をJIS X 0213で定義された文字に置き換えた、新JIS漢字対応版のファイルも用意した。無償で利用できるものがいくつか公開されたとはいえ、新JIS漢字対応フォントはまだまだ普及していない。公開されたフォントの質にも、問題が残る。そうした状況下では、新JIS漢字対応ファイルを青空文庫そのもので公開するには、時期尚早であると判断せざるを得なかった。その代わり、将来の青空文庫の姿、日本語文書交換の形を示す場として、「明日の本棚」と名付けたページを用意し、外字注記をJIS X 0213の文字に置き換えたファイルをおいた。
新JIS漢字の意義を統合的に紹介する上では、関連するさまざまな文書や、規格そのものの一部を示すことが不可欠と思われた。そこで、当用漢字表や当用漢字字体表などを電子化して「漢字表一覧」にまとめ、しばしば誤解を招くJIS漢字コードの「包摂」と呼ばれる決めごとの関連項目を、「JIS X 0208と0213規格票の包摂関連項目」で公開し、「新JIS漢字時代の扉を開こう!」からリンクした。
1998年10月、第二期の運営体制に移ってから、青空文庫の世話役側は、上記のような作業を行ってきた。「青空文庫の活動」としてもっとも目に付きやすい、入力、校正、公開の流れの中では、年におよそ450点程度の作品を登録。これに対応した上記の1〜9のステップを日常的にこなし、加えて新JIS漢字コード関連のツール開発や文書の整備、マニュアルの改訂など、電子翻刻の基盤整備に取り組んできた。
これらの作業は、専従者1名を含め、フル・タイムの作業者に換算して、平均およそ3名弱の世話役スタッフによって担われてきた。率直に言って事務局には、少し大きすぎる負担が長期間に渡ってかかり続けてきたと思う。
事務局機能分散化への挑戦
青空文庫の世話役は、増大する事務局への要求を、ただ黙々とこなしてきたわけではない。状況改善のための手も、いくつか打ってきた。中でも省力化の最大の鍵を握ると考えてきたのが、青空文庫サイトのデータベース化である。
作品の図書カードや著者名リスト、書名リスト、作業の進行状況を示すリストなどのHTMLファイルは、新しい作品を登録するたびに、手作業で書きおこし、修正してきた。当然、個々のHTMLはまったく独立したファイルとなったため、複数の作品で共用している、図書カードの「著者について」といった項目を修正する必要が生じた際は、図書カードの枚数分だけ同じ個所を直すことになった。もちろん、エディターなどのマルチファイル検索・置換といった機能は利用するわけではあるが、作業ステップの管理は人が実行する形を取ってきた。
青空文庫では、メインサイトに加えて、ミラーサイトを用意している。HTMLファイルや作品ファイルのサーバーへの転送も、世話役が同じ工程を二度繰り返して実行してきた。
1日平均、1作品を越えるペースで新規登録を行い、誤植の指摘を受けて、1作品弱のファイル修正を行っている電子図書館サイトの更新と管理をすべて手作業で行うのは、妥当性を欠く作業方針と思われる。もしも青空文庫の作業が、こうした規模に達すると当初から分かっていたとすれば、世話役は、データベースを中心に据えた管理システムの構築に、早い段階で取り組んだはずである。我々が十分賢明であれば、管理システムの準備が整うまでは、作品の登録や電子図書館サイトの公開は行わなかったかもしれない。だが現実には、予想される姿、目指す形を事前に思い描かないまま、青空文庫は生まれた。
着手が遅れていたデータベース化に関しては、2000年の春から予備的な検討を開始した。だが、基本的な電子化の作業を継続し、資料やツールの整備を進めながらの作業に、データベースの開発と膨大なデータ入力が追加される形となったために、省力化のための体制作りはよりいっそうの負担を世話役に強いた。
2001年は、青空文庫の世話役にとって、厳しい年となった。
青空文庫への作業協力者は、「不特定多数」という大きな母集団の中から現れる。これまでのところ、漸増傾向には変化がみられない。一方、世話役側の人的資源は固定されている。
こうした状況の改善の手だてとして、我々が「事務局機能を強化する」という常識的な対応を試みなかったわけではない。世話役として新しいメンバーを迎え入れたことも何度かある。だが、現実問題として、また結果において、事務局の内側を強化するという対応策はこれまで、問題解決の決め手にはならなかった。青空文庫には、事務所といった物理的な拠点はない。連絡のほとんどすべては、電子メールによっている。青空文庫の入力や校正には、締め切りを設けていない。無償で公開するファイルを、ボランティアで作っていくという大原則に照らせば、自分のペースに合わせて作業できる形こそが望ましいと考えている。一方、事務局機能を担う世話役には、しばしば迅速な対応を求めざるを得なくなる。基本的にボランティアにはなじまない類の作業が、事務局にはついてまわる。さらに、実際に顔を合わせれば、三言四言のやりとりですむような確認にも、電子メールでは、しばしば数日を要する。書き言葉のみに頼るやりとりには、いったん生じた誤解やすれ違いに、修復のチャンスを与えにくいと言う困難もある。世話役の増員には、こうしたコミュニケーションの困難を、幾何級数的に増大させかねないリスクがあった。
こうした困難に何度か直面する中で、世話役の一部からは、物理的な事務所を用意し、専従のスタッフを増員するのが妥当ではないかとする提案も寄せられた。だが、無償のファイル公開を大原則とする青空文庫にとって、定常的な経費を増大させることは、基本的にリスクが大きすぎるのではないかとの懸念があった。より大きな支援を、継続的に得るためには、そのための作業により力をこめて臨まざるを得ない。そして何よりも、青空文庫の大きな成長は、当初自分たちで進めようとしていた作業を、協力者に全面的に委ねるという、他力本願主義によって達成されたという経験が、組織を固めて自らを強化するという選択をためらわせた。
単純な世話役の増員でも、事務局機能の増大に対応できない。事務局組織を物理的に固定化し、自力を強化することにも、ためらいがある。議論を重ねても、突破口を見いだせないままに、青空文庫全体の作業規模は膨らみ続け、省力化の切り札と考えたデータベース化の作業が覆い被さった。
2001年において顕在化したこの困難を、我々は今も乗り切ったわけではない。だが、第二次体制の限界が、主観的には、現行事務局の維持を不可能にしかねないレベルにまで達しようとした瀬戸際で、問題解決の糸口をつかみ取ることができたのではないかと考えている。堂々巡りの困難な論議の末にたどり着いた結論は、他力本願主義。青空文庫に急拡大をもたらした選択への回帰である。
青空文庫の第一期において選択した他力本願主義は、単に座して協力の手がさしのべられるのを待つことではなかった。我々は入力、校正から手を引く代わり、作業ルールの確立と文書化に全力を注いだ。入力作業においてなすべき事、校正のステップにおいて実行すべき事を定義し、作業済みのファイルやゲラは世話役に戻すというインターフェイスのルールを明確化させた。
青空文庫におけるファイル作成の流れの中で、入力と校正は大きな作業量を要する上に、切り分けの容易な類のものである。エディターや赤鉛筆一本あれば、誰でも取り組めるという点でも、分散化に適している。一方、基本フォーマットの一つとしてエキスパンドブックを選んだことは、電子図書館の実用性を訴える上では大きく寄与したものの、作業の分散化にとっては障害となった。エキスパンドブックの開発ツールは、比較的利用者の少ない高額の商品であり、なれない者を戸惑わせるようなインターフェイス上の癖を持っていた。電子図書館システムとしての青空文庫のページは、全体の設計図を欠いたままに、試行錯誤を重ねながら組み立てていったものである。これを管理し、維持するためのノウハウは、一握りの世話役の頭の中に、整理されないままに収まっていた。こうした条件があって、第一期、第二期の分散化は、入力と校正のみにとどまっていた。それ以外の部分をまとめて引き受けた世話役は、作業ステップを明確に切り分け、分散化に適合した形に整理し、各ステップ間のインターフェイス規則を定めることができないが故に、我々はかなりの規模の作業を抱え込まざるを得なくなっているのだという自覚を欠いていた。
だが、分散化を目指して作業内容を整理し直す覚悟を固めれば、これまで事務局機能として限定して捉えてきた作業のかなりを、他力に委ねられるのではないか。あらためてそう発想を切り替えると、分散化のための鍵を我々はすでに用意し、他力本願主義を拡大するための条件も、以前に比べればかなり整ってきたのではないかと思えるようになってきた。
分散化の扉を開く鍵は、他ならぬデータベースである。我々は当初これを、事務局機能を効率化するための道具立てと考えてきた。そのシステムを作るために、日々行っている電子図書館ページの管理、維持業務を分析的に把握し直し、自動化に適合するように整理し、組み立てなおした。結果的に、それぞれの作業の内容はデータベースの機能一つ一つに切り分けられ、各ステップ間のインターフェイスもまた、機能や管理システムの操作手順の中に定義された。このシステムの運用段階においては、大きな混乱なしに作業を分担することが可能になるだろう。
青空文庫の外側からも、分散化を促進する条件は整ってきている。その一つ目は、青空文庫のテキスト形式に対応したテキスト・ブラウザーがかなり豊富に出そろってきたことである。(鈴木厚司氏による「テキストビュワー」を参照。)かつて電子図書館の実験システムを構想するとき、我々にはエキスパンドブック以外の選択肢を思い浮かべることができなかった。だが、縦組みやルビ処理を実現してくれるテキスト・ブラウザーは現在、さまざまなものが開発され、その多くは無償で利用できる。加えてそれらの多くは、青空文庫テキスト版のルビ記号に対応してくれている。テキスト版をブラウザーで開けば、そのままルビがルビとして表示されるのだ。ならばエキスパンドブックの供給を青空文庫本体としては停止したとしても、電子図書館に対する期待を大きく損ねることはないのでないか。我々はファイルとしての長い寿命が期待できる、テキスト版とHTML版の作成に集中し、読みやすいフォーマットへの加工は、他力に委ねるという道を選んでも良いのかもしれない。
新JIS漢字は、パソコン一般には広く普及していないという状況をかんがみて、青空文庫のファイルは現在も、旧JISの範囲で作成している。テキスト版には、かなりの頻度で外字注記が現れる。テキスト・ブラウザーで開いた際も、外字注記は視線の障害物として機能してしまう。できるならば、外字注記全体を、外字の画像データで置き換えて、読みやすいファイルに仕立てたいという、手作業への誘惑が生じる。だが、ボランティア・ベースの新JIS漢字対応フォントの開発に続いて、Mac OS Xがv.10.1からJIS X 0213に対応するという、メーカー側からの新しい動きも出てきた。リコーからは、新JIS漢字対応のフォントが発売された。こうした流れが加速すれば、いずれは青空文庫のファイルを新JIS対応版に切り替えられ日がくるだろう。その暁には、新JIS漢字策定のための基礎資料とりまとめに着手したとき夢見たように、外字注記の多くを、通常の文字に置き換えられる。手間をかけて外字を画像処理する必要性は、大幅に減少するだろう。
青空文庫の急成長は、事務局を構成するメンバーの一部に、深い疲労感をためた。これまでどおりには、体制を維持できなくなるかもしれないという危機の中で、事務局の内側を強化する代わり、我々は世話役とそれ以外の作業協力者を隔てる壁を壊すことで、問題解決の突破口を開こうと試みている。その発想の根には、これまで事務局が抱え込んできた作業のかなりは、内容を吟味して自動化に適合する形に整備し、各ステップ間のインターフェイスを確立すれば、分散化できるのではないかとする考え方がある。
壁を壊すことで、分散化した作業の担い手を生む母集団を、極大化する。そのような試みを執拗に、自覚的に継続していけば、青空文庫を永久機関に近い形で継続できるのではないか。
我々は今、そんな新しい夢を見つつある。
筆者:富田倫生
初出:「アート・リサーチ」Vol1.2、立命館大学アート・リサーチセンター、2002年3月15日発行
(立命館学術成果リポジトリR-Cubeによる初出記事のアーカイヴはこちら)
ウエッブ版公開:2002年4月6日
修正履歴:
「これらの作業は、専従者1名を含めて、平均およそ3名弱の世話役スタッフによって担われてきた。」を「これらの作業は、専従者1名を含め、フル・タイムの作業者に換算して、平均およそ3名弱の世話役スタッフによって担われてきた。」に変更。(2002年4月6日)
トップページに戻る。