作家名: | ギャロッド アーチボルド |
作家名読み: | ギャロッド アーチボルド |
ローマ字表記: | Garrod, Archibald |
生年: | 1857-11-25 |
没年: | 1936-03-28 |
人物について: | アーチボルド・ギャロッドは人類遺伝学、先天性代謝異常学の創始者であるとともに、今より1世紀前に分子生物学の基本原理「一遺伝子・一酵素」を考え出した先駆者でもある。彼はオクスフォード大学で自然科学を学んだ後にロンドンの聖バーソロミュー病院で医学を学び卒業後の1年はウィーンに留学した。最初しばらくはハーレー街(専門医の街)で父親アルフレッドの開業を手伝ったが研究から離れることができず病院に戻った。父親は高尿酸血症と痛風の関係を明らかにした著名な研究者でもある。アーチボルドはまず分光器を使ってポルフィリン尿症の研究を行った。この時に研究を手伝ったのは後のケンブリッジ大学生化学教授のフレデリック・ホプキンズであり生涯のあいだ互いに尊敬しあった。次に彼は1895年ごろからアルカプトン尿の分析および遺伝の研究を行い、論文「アルカプトン尿の発現 化学的個人差の研究」(1902)および著書「先天性代謝異常」(1909)を刊行した。彼の名声は高かったが病院における地位は30年近く上がることなく、50才を過ぎても著書(1909)の肩書きは化学病理学の副医師、講師とある。一次世界大戦では軍医としてマルタ島で勤務した。この戦争で彼は悲しい運命に見舞われ、3人の息子のうちの医師である2人は戦死し、末息子は休戦直後にスペイン風邪によって死亡した。帰国して臨床研究および医学教育の改革に努力して成果をあげたが、オクスフォード大学の欽定教授に招聘されて気乗りはしなかったが就任した。63才のことであった。7年ほどで退職しケンブリッジ大学で最初の女性正教授であった娘の家で生涯を終えた。退職後に自由な身となって刊行した"Inborn Factors in Diseases"(1931)は病気素因の生化学的基礎を論じたエッセーであり長いあいだ無視されていたが、最近になってリプリントが刊行されて読まれるようになったと言われている。ギャロッドは広く臨床医学、生化学、遺伝学を研究し、活動は多岐にわたるので、その生涯を書くのは困難である。詳しくは人類遺伝学者でありギャロッドの生涯を研究し伝記(1993)や幾つもの論文を書いたBearnによる2つの評論 [1],[2]を参照されたい。年代記的な短い伝記としては[3]が参考になる。(水上茂樹) 「Archibald Garrod」 「一遺伝子一酵素説」 |